仙台市営地下鉄東西線ウォーク(大町西公園=>国際センター)


西公園内を歩いていきます。

広瀬川を渡ります。

上流方面に鉄橋が見えます。

国際センター・八木山動物公園方面に向かって2000系電車が走っていきました。

仙台・荒井方面に向かって2000系電車が走っていきました。



国際センターの周りを通っていきます。

国際センター駅に到着。
つづく。
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仙台市営地下鉄東西線ウォーク(青葉通一番町=>大町西公園)

南1番出入口から入ってきた1番出入口から出ます。




こちらは晩翠草堂。詩人、英文学者の土井晩翠という方が最晩年に過ごした邸宅だそうです。
「荒城の月」は作詞・土井晩翠、作曲・滝廉太郎です。悲しいメロディーですよね…。

こちらが土井晩翠像でしょうかね…????


晩翠草堂の奧には仙台ユネスコ会館跡があります。

石碑もあります。

青葉通りを歩いていきます。


分岐合流の場所に御譜代町看板塔があります。


大町西公園駅に到着。
つづく。
仙台市営地下鉄東西線ウォーク(仙台=>青葉通一番町)


JR仙台駅東口の2階広場にアンパンマンのパネルが埋め込まれています。

東西連絡通路では東北・TOHOKU 再発見フェアが開かれていました。(2017/11/4)


こちらは青森のねぶた。



秋田のなまはげが念撮影をしていました。


JRの西口の地下鉄の改札口があります。



地下通路を歩いて西1番出口へ出ます。




地下鉄が下を通る南町通、東二番町通、青葉通りを歩いていきます。

こちらが仙台のアーケード通りのサンモール。


青葉通一番町駅に到着。
つづく。
仙台市営地下鉄東西線ウォーク(宮城野通=>仙台)






改札口から北出入口に向かってアンパンマンこどもミュージアム&モールへの案内があります。
北1出口から大通り(イーグルロード)を渡ってしばらく歩くと仙台アンパンマンこどもミュージアム&モールがあります。

バイキンマンの石像があります。

仙台駅に向かって歩いていきます。

カレーパンマンの石像があります。



JR仙石線仙台駅へ通じる地下通路出入口の後ろ側にアンパンマンの石像があります。

福島県の八重たんと2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」のラッピングバスが通りました。

こちらはJR仙台駅の駅舎ですが、一応仙台駅に到着。
東北新幹線、東北本線、常磐線、仙山線と、仙台空港アクセス鉄道線はこちらですね。
さらに阿武隈急行も少しだけ直通電車があります。
つづく。
仙台市営地下鉄東西線ウォーク((陸奥国分寺跡・薬師堂)=>宮城野通)


山門には仁王像がいます。

こちらが薬師堂。

薬師堂の手前には狛犬がいます。


こちらは天平回廊。


地下鉄が下を通る道路を歩いていきます。


連坊駅に到着。

連坊駅駅名の説明があります。


地下鉄が下を通る道路を歩いていきます。

東北新幹線をくぐる道路が建設されています。(2017/11/3時点)

お寺さんが並んでいるので「連坊」というのでしょうか…。
ちなみに写真左のお寺さんは「愚鈍院」といいます。



地下鉄が下を通る道路を歩いていきます。


宮城野通駅に到着。

仙台駅で仙台市営地下鉄のICカード「icsca(イクスカ)」は、いろいろな鉄道系ICカードと連携しているようです…。。
つづく。
仙台市営地下鉄東西線ウォーク(六丁の目=>(陸奥国分寺跡・薬師堂))

地下鉄が下を通る県道23号線を歩いていきます。

国道4号線を渡ります。

地下鉄が下を通る県道23号線を歩いていきます。



卸町駅に到着。





地下鉄が下を通る道路を歩いていきます。


薬師堂駅に到着。


薬師堂駅のそばに、陸奥国分寺跡という史跡の案内があります。

JRの貨物線の中原線をくぐります。


こちらが陸奥国分寺跡・薬師堂です。
つづく。
仙台市営地下鉄東西線ウォーク(荒井=>六丁の目)

仙台駅で仙台市営地下鉄のICカード「icsca(イクスカ)」のPRを見ました。
ふくろうのキャラクターでしょうか。

仙台市営地下鉄東西線は2015年に開業した路線で、鉄輪式リニアモーターカーです。
新しく開通する地下鉄路線はこのタイプが多いですね…。

始発終着の荒井駅の先に車庫があるのですが、ここからはよく見えません…。
当たり前というか、東端から南側へカーブした先に車庫がありますので…。

ホームから通路へ出ます。


なぜだか大きめの水槽でメダカが飼われています。

トミーテックの鉄道むすめシリーズお仙台市営地下鉄のキャラクターもいるんですね。

少し荒井駅構内をうろうろしてから出発。

出発早々、袖にトンボが止まりました。虫を捕まえていてむしゃむしゃと食べてました。
しばらくして飛んでいきましたが、このくらい撮れる余裕があるほど長く止まっていました。






地下鉄が下を通る道路を歩いていきます。



六丁の目駅に到着。
つづく。
岩手のおみやげ(前沢牛しぐれ煮)

前沢牛しぐれ煮を買ってきました。

A5ランクの肉かどうかわかりませんが、結構大きめでした。

ごはんと一緒に食べるとおいしかったです。(^-^)
奥州市内にある「牛の博物館」で、アンケートに答えたら前沢牛でも送ってくれるかと期待していたんですが、お礼のはがきだけが届きました…。(笑)
やっぱりがっつりふるさと納税しないとサーロインくれませんね…。(笑)
まあ当たり前といえば当たり前ですが…。6(^-^;;;;)
つづく。
岩手のおみやげ(黄金かもめの玉子)

「黄金かもめの玉子」を買いました。

中尊寺金色堂が描かれていて、高級な感じです。

両親は平日のおやつタイムに食べてしまったので、後日一人でコーヒータイムに食べました。

色はおでんやラーメンの味玉のようですが、甘いです。
そして中に栗が入っているので、ノーマルの「かもめの玉子」よりも高級です!!!!
真ん中の金箔を集めて金塊に…。って、チョコボールと母の誕生日のケーキのモンブランのときにも書いた気がしますが、めちゃくちゃ気の遠くなる話ですね…。(笑)
黄金の味がしました。(^-^)
…って、金箔は味がしないはず…。適当ですみません…。6(^-^;;;;)
つづく。
岩手のおみやげ(岩手の恋人)

「岩手の恋人」を買ってきました。

海女漁はもう三陸と伊勢志摩あたりだけらしいです。

盛岡さんさ踊りまた見てみたいです。
太鼓を前につけて踊るので、結構大変な感じです…。そんなに軽くはないはず…。

「岩手の恋人」はクランチチョコです。
恋人シリーズ(勝手に命名。(笑))の元祖「白い恋人」は確かラングドシャ、大阪のダジャレもの「面白い恋人」は確かゴーフレットで、ほかにも「名古屋の恋人」をどなたかにいただいた記憶が…。
みんなおいしかったです。(^-^)
つづく。
岩手のおみやげ(キリン一番搾り 岩手に乾杯)

「キリン一番搾り 岩手に乾杯」を買いました。


すき焼きを食べながら一緒に飲みました。
そういえば、岩手県の人にしてみたら「おみやげ」ではないですかね…。6(^-^;;;;)
個人的には「埼玉に乾杯」は普通に近所で買うキリンビールですからね…。(笑)
まあでもおいしかったです。(^-^)
つづく。
ソースかつ丼

一ノ関駅西口の松竹というお店でソースかつ丼を食べました。
ちなみにこちらのお店はこのかつ丼の元祖らしく、いろんな方のサインが飾られています。

ごはんの上にキャベツで、その上にとんかつが乗っていてソースがかけてある感じです。
個人的には「ごはんに乗ったとんかつ定食」というイメージですね…。

個人的にはかつ丼といえばとんかつを卵でとじたこの料理です。
まあスタイルはどうであれ、“かつ丼”は好きです。(^-^)
つづく。
盛岡駅(E5系・E6系電車連結など)



八戸・新青森・新函館北斗方面からE5系電車が到着しました。

連結器のカバーが開きます。

連結を見ようと人々が集まてきました。(笑)

雫石・田沢湖・大曲・秋田方面からE6系電車が到着しました。
到着時に連結器のカバーは開いていました。



少しずつ近づいて連結しました。

乗る電車を撮っていたので、撮影してすぐに乗り込みました。

そしてオマケ。こちらは仙台駅。
仙台駅まではやぶさ・こまち号で約6,700円ほどかかりますが40分ほどで行くことができます。
東北本線だとこの半額ほどでも3時間以上かかるので、そのあと行った場所で過ごす時間を増やせたと考えると、はやぶさ・こまち号に乗る方が得な気がしました…。



大宮・上野・東京方面に向かってE5系・E6系電車が発車しました。

そしてさらに仙台駅のオマケ。JR北海道のH5系電車に出会えました。ちなみにE5系電車の方が圧倒的に編成数が多いため、H5系電車にはなかなか出会えません…。
帯の色がラベンダーです。




大宮・上野・東京方面に向かってH5系・E6系電車が発車しました。
E5系電車と同じく、秋田新幹線のE6系電車と連結されて運行されています。
つづく。
盛岡駅(E5系・E6系電車分離など)

E5系・E6系電車が停車していました。

こちらが連結部分。




仙台・大宮・上野・東京方面からE5系・E6系電車が到着しました。

分離を見ようと人々が集まてきました。(笑)



分離してそのまま連結器のカバーを閉じながら雫石・田沢湖・大曲・秋田方面に向かってE6系電車が発車しました。

E5系電車の連結器のカバーも閉じられました。




八戸・新青森・新函館北斗方面に向かってE5系電車が発車しました。
つづく。
盛岡駅(東北新幹線改札内)

新幹線の改札内は広々としています。

巨大な南部鉄器の鉄瓶が展示されています。


こちらは南部の曲がり家(まがりや)の模型。






こちらは盛岡さんさ踊りの人形。プチ版でしたが仙台で開かれた2017年の東北絆まつりで初めて見ました。
盛岡駅に限らず、新幹線の改札内通路は単なる連絡通路だけではなく、郷土資料館の役割も果たしているようです…。
つづく。
岩手公園(盛岡城跡)(石川啄木歌碑=>盛岡駅)

石川啄木の歌碑があります。

開運橋が見えます。

本丸跡に戻ってきました。

こちらはおそらく天守があった場所ですが、何も説明が見当たらず…というかこの写真の裏側にあったかも知れませんが、裏まで回りませんでした…。

1本だけ葉っぱが真っ赤に色づいたもみじの木がありました。

来た道を歩いて盛岡駅へ戻ります。

この裏は「盛岡城跡公園 600m先」という標識なので、盛岡駅までは片道1.2kmですね。

開運橋を通って北上川を渡ります。

盛岡駅まで戻ってきました。

E5系とE6系電車が見えました。
天守はもちろん櫓も残されていませんが、整備されていていい公園です。
いつになるかわかりませんが、また行ってみたいです。(^-^)
つづく。
岩手公園(盛岡城跡)(桜山神社=>石川啄木歌碑)

こちらは岩手公園の北側にある桜山神社。

手を洗うところには2羽の鶴がいます。

こちらは本殿。

階段の脇には狛犬がいます。

本殿の階段には狛鶴(という言葉があるかどうかわかりませんが)がいます。
やはり「ア」と「ン」ですね。



奧には烏帽子岩と称される大きな石が祀られています。


二の丸と思われるところへ行きます。
つづく。
岩手公園(盛岡城跡)(瀬川正三郎像=>桜山神社)

瀬川正三郎という柔道家の胸像があります。

帯曲輪跡を歩いていきます。ここのイチョウの木は大きかったですね…。



お濠か池かわかりませんが、そこにかかる橋を渡ってまた敷地内へ入ります。


広場のそばを通って三の丸跡方面へ歩いていきます。

石垣の修復工事がされています。(2017/11/4時点)


こちらは三の丸跡。

横から見たらよくわかりますが、ゆがみがすごいです…。やはり東日本大震災の影響でしょうか…。

敷地の北の端には神社の鳥居があります。
つづく。
岩手公園(盛岡城跡)(盛岡駅=>瀬川正三郎像)

盛岡駅を出発。


開運橋に向かって歩いていきます。

開運橋を通って北上川を渡ります。


岩手公園下駅に向かって歩いていきます。

もみじの木の何本かは葉っぱが真っ赤でした。

坂を上がって城郭の中へ入ります。

東北新幹線の高架が見えます。



本丸跡から中津川沿いに下りて行きます。
つづく。
あれから7年(後編)

松島の瑞巌寺の参道も修復していました。本堂は津波の被害を受けなかったようで、拝観することができました。
ほかにも塩竈の鹽竈神社、平泉の毛越寺、中尊寺へ行きました。瑞巌寺は伊達政宗公の時代で、毛越寺や中尊寺は奥州藤原氏の時代です。
毛越寺本堂にはご本尊の傍らに陸前高田の松の木を彫ってつくられたお地蔵様がおられます…。
実はこういった観光名所の寺社仏閣以外にも、女川や盛岡までの道中で、多数あるその地元のお寺や神社、野仏や小さな祠、墓地に必ず無事を祈って手を合わせてました…。
東海道線沿いを進んでいたころはこれから起こりそうな厄災に対しての不安から逃れたいためだったのですが、東北本線や常磐線のときは起こってしまった厄災を思って祈っていることも多かったかも知れません…。
鉄道の線路沿いを歩いていますが、目的は鉄道だけじゃないんです…。

こちらは仙石線東名駅跡。

そして旧野蒜(のびる)駅に向かって仙石線の線路跡が続いています…。
実はこの陸橋は線路が通っていたときの名残です。線路があったからこそこの場所が陸橋になっているんですね…。

こちらは仙石線のトンネル。これも線路があったからこそこの場所がトンネルになっているんですね…。

こちらは踏切跡。まだ線路が残っていました…。

2016年では野蒜駅の旧駅舎がコンビニや集会場になっていました。旧駅舎だけではなく旧ホームもまだ残されてました…。

「野蒜」の文字のところに茶色い線が見えますが、あそこまで海水に浸っていたということでしょうか…。
旧駅舎の壁に貼ってあった津波の水位の案内表示があのくらいの高さだったので、その可能性がありそうです…。

旧駅舎の2Fに、あのとき津波で浸水したときのものと思われる券売機が残されていました…。

手前が仙石線の線路跡で、奧が高台移転された仙石線の高架。
高台に現在の東名駅と野蒜駅があります。
こういう写真を撮っていると、震災前に一度も東北に行っていなかったことをじわじわと後悔がやって来るんですよね…。
ただ、しかし、もうひとつ思ったのは、自分も被災していたかも知れないということです…。
2011年3月11日 14時46分にここにいた可能性もありますからね…。
そう考えたら仕方ない部分もありつつも、けどやはり無事に写真を撮ることもできたとも考えられるので…。こういったことも歩きながらよく考えていました…。

石巻総合運動公園には、国立競技場の聖火台があります。敷地の一部に仮設住宅が建っていて、2017年の6月ごろでもまだ人が住んでいる感じでした。
復興と謳うのならば、個人的には新国立競技場完成後に戻すのではなく、そのままここへ聖火という希望の火を持ってくればというように思うようになりました。
それに、日本ならとっくに競技場を完成させて工事関係者が各被災地へ向かっていると思ったらとんでもなかったですね…。
それでも現場の方々は必死だと思います。ただ、雲の上の方々がえらくお粗末で残念でまともに仕事をしているようには見えません…。
それに確かボート会場は結局海の森水上競技場に決定して、長沼ボート場も却下でしたよね…。
2013年の決定時は単純に喜んでおりましたが、新国立に限らず各競技場に関する諸問題を見るうちに次第に疑問が多くなりました…。

たまたま休憩をしようと入った旧北上川沿いのコンビニで、震災時のリアルな話を聞くことができました…。
オーナーさんの「津波の浸水で商品や設備がすべてダメになった」とおっしゃっていたにも関わらず2017年のときは普通に営業をしていたけどそれが並大抵の苦労ではないことだと感じたり、従業員の方の「津波の中を泳いでぎりぎり助かった」という本当に「死」がちらつくような内容だったり…。
そのお話に比べれば自分の通勤困難だった状況なんか話すのが恥ずかしくなるくらい大したことはなかったですね…。
あのときは女川駅まで急いでいてあまり話せなかったのですが、またあのコンビニのオーナーさんに会いに行ってみようと思っています。
この日記のために過去の写真を見ていきましたが、震災のときのことをまたいろいろと思い出しました…。
被災された方々も我々も日々無事に暮らせますように、これからも祈って、これからも一歩一歩進んで参ります…。
つづく。
あれから7年(前編)

昨年も、一昨年も載せましたが、今年も載せます。
JRが運休で、池袋駅まで歩いても結局東武東上線も完全に運休…。シャッターまで閉めてるなんてこのとき初めて見ました…。

国道254号線をひたすら歩いて帰りました。
埼玉県内で仕事をしている姉夫婦が迎えに来てくれたんですが、会うのに苦労しました…。
このときたまたま翌日に散髪をするためmixiの知り合いの都内の美容室に予約していたのですが、体力的に無理でしたね…。そのお店は無事だったようですが、初めての当日キャンセルでした…。

幸い家は普通に生活するのには困らなかったですが、通勤はものすごいことになりました…。
週明けから計画停電の影響で最寄り駅まで電車が来なくて、2日間都内の成増駅まで自転車通勤もさせられました…。
そしてこの計画停電の原因が、巨大津波による影響で福島第一原発が事故を起こしたことによる電力不足だと後で知ったと記憶しています…。
しかし、この時の東電の計画停電の対応もひどかったですね…。


2009年に取手駅まで歩いていた常磐線沿いを歩きはじめたのですが、北へ向かうほど壊れているところが目に付くようになってました…。
それで水戸偕楽園に到着したら立ち入り禁止だらけで好文亭も閉鎖されていました…。
隣の常磐神社は石灯籠が倒れたままでした。このとき2011年の秋でしたが、おそらく被害が広範囲で業者も見つからず半年も放置状態にせざるを得なかったんでしょうね…。
その後、小木津駅の手前で大きな余震のため午前中で切り上げて帰ったり、翌年の2012年は家のリフォーム(後で思えばよく後回しにされなかったなと…。)のこともあったんですがまったく遠出できず…。
ただ後回しにしたからといって後で無事に行ける保障はなく、それならばと「やって後悔する」ほうをとって、2013年から2014年まで、どうしても行きたかった東海道線沿いを歩いて神戸駅まで行くことができました。ちなみに神戸は父の出身地だったりするわけですが…。
それでも歩いていてやっぱり不安でしたね…。まあ祈ったからといって被災しない保障はまったくないですが、途中多数あるその地元のお寺や神社、野仏や小さな祠、墓地に必ず無事を祈って手を合わせてました…。
そして2015年から常磐線と東北本線を歩きはじめましたが、あの原発事故のせいで常磐線はいわき駅から先へ行くことができませんでした…。


白河小峰城の石垣は崩壊していて修復中でした…。
この1年半後に青葉城(仙台城)公園や盛岡城公園に行きましたが、何かが壊れて修復中だったり、震災前と変わってしまったところがありました…。


郡山駅から福島駅まで原発事故の除染作業の看板をよく見かけました…。
「原発事故による放射性物質飛散のせいで、あの家にまだ帰宅できない…。あの家にはもう帰宅できない…。」
写真に撮らなかったけど見かけた看板はたくさんあって、そんな方々のことを思ってずっと歩き続けてました…。


仙台空港付近の貞山堀にかかる橋で街路灯を撮っていたのですが、暑い中歩いていたせいか、この異常な状態に気が付かず通り過ぎるところでした…。
こんなのそう簡単に曲げられるものではありません。津波の威力がよくわかるもののひとつです…。
5年後の2016年でもまだ残されたままのものがありました…。

この青葉城公園内にある塔の手前のトンビの像は、震災前はこの塔のてっぺんにあったらしいのですが、あのときの揺れで落下してしまったそうです…。
そしてさらに多賀城、塩釜、松島、石巻、女川へと歩いて行くにつれて、震災前に一度も東北に行っていなかったことをじわじわと後悔することになります…。
つづく。
盛岡駅(花輪線・田沢湖線・東北本線)




好摩・安比高原・八幡平・鹿角花輪・十和田南・大館方面から110系気動車が到着しました。
花輪線はJRの路線ですが、盛岡駅の発着はIGRいわて銀河鉄道のホームです。



小岩井・雫石・田沢湖・大曲方面から701系電車が到着しました。
田沢湖線は、盛岡駅を発着する東北本線、山田線、花輪線、IGRいわて銀河鉄道と決定的にちがうものがありますが何でしょうか。秋田新幹線は田沢湖線と同じ路線です。この車両と同じ線路を(笑)
ちなみに鉄オタじゃなくて気が付いた方はなかなか鋭いです。(笑)

こちらは東北本線の701系電車。





矢幅・花巻・北上・金ヶ崎・水沢・前沢・平泉・一ノ関方面に向かって発車しました。



北方面に向かうEH500形電気機関車に引かれたコンテナ貨物列車が停止しました。


12フィートコンテナはこうやって固定されています…。
ここから青森駅あたりでEH800形電気機関車へつなぎかえられて青函トンネルを通って、函館駅あたりからDF200形ディーゼル機関車につなぎかえられて、北海道内のどこかへ運ばれるんでしょうかね…。
自動車、飛行機、船舶、鉄道。同じ重さの物を運ぶのに一番エネルギー効率がいいのが鉄道らしいのですが、日本の全ての貨物輸送のうちの1%程度だと記憶しておりますが、コンテナが主流になってからは巨大な操車場が必要なくなり、車両自体もかなり高速化が進みました。
二酸化炭素排出量のことを考えるともっと鉄道の貨物輸送の割合が増えるといいですね…。
つづく。
盛岡駅(山田線・IGRいわて銀河鉄道線)

やはり乗り換え連絡橋は長いです…。

写真左が田沢湖線、右側が東北本線です。田沢湖線の軌間は新幹線の軌間と同じです。
秋田新幹線の正体は、田沢湖線(盛岡<=>大曲)と奥羽本線(大曲<=>秋田)です。

こちらは快速はまゆりの110系気動車です。
残念ながら、このあと運休になってしまいました…。


こちらは山田線の110系気動車。



上米内方面に向かて発車しました。
残念ながら台風災害の影響で、2017/11/4時点で宮古駅まで通っていません…。
そして山田線は釜石駅までの沿岸部分もありますが、あの2011/3/11の大地震後の大津波災害の影響で不通の箇所がまだ残っています…。






好摩・いわて沼宮内・二戸・目時・八戸に向かってIGR7000系電車が発車しました。
JR701系電車も車庫に向かって走っていきました。
ちなみにJR701系電車とIGR7000系電車はほぼ同じ車両です。
つづく。
盛岡駅(JR東口・IGRいわて銀河鉄道)

1Fへ続く南側のエスカレータの広告は八幡平スキー場ですね。確か花輪線の沿線ですね。

エスカレータを降りるとタクシープールがあります。

こちらは滝の広場。東口のタクシープールとバスターミナルに挟まれた場所にあります。

そしてこちらがいかにも「盛岡駅!!!!」というの表札。駅の東側にありましたね…。


バスターミナルに近いところに、IGRいわて銀河鉄道の改札口があります。
IGRいわて銀河鉄道は東北新幹線が延伸するまではJR東北本線でしたが、八戸駅まで開業したときに別会社の路線になりました。
路線は県境付近の青森県側にある目時駅で元がJR東北本線だった青い森鉄道と分かれていますが、運行は青い森鉄道の八戸駅までのようです。
ちなみに好摩駅で分かれているJR花輪線はこちらに発着します。

スタンプ台もあります。

こちらが駅スタンプ。

こちらが鉄道むすめのスタンプ。
つづく。
盛岡駅(わんこロード・南改札口)

駅ビル東側通路のわんこロードを歩いていきます。
「わんこ」といってももちろん犬のことではありません…。
わんこそばの「わんこ」ですね。


こちらが駅スタンプ。東北新幹線のE6系新幹線電車ですね。


「わんこきょうだい」がお出迎えしてくれますよ。(^-^)

岩手県の偉人が紹介されています。

馬の木像が展示されています。

こちらは南部鉄器の彫刻作品のようです…。

床にも「わんこきょうだい」が描かれています。

こちらがみどりの窓口(南)です。



こちらにも東北新幹線E6系新幹線電車の駅スタンプがあります。

こちらが南改札口です。
北改札口よりも南改札口のほうが比較的空いているような気がします…。
つづく。
盛岡駅(JR西口・北改札口)


駅の西側にはちょっとした広場があります。


いわゆる「盛岡駅!!!!」という感じの表札はなく…。


以前は車庫線がたくさん通っていただけあって、通路が長いです…。

田沢湖線(秋田新幹線)の701系電車が止まっているのが見えました。
田沢湖線は、盛岡駅を発着する東北本線、山田線、花輪線、IGRいわて銀河鉄道と決定的にちがうものがありますが何でしょうか。すでに写真に写っております…。(笑)
ちなみに鉄オタじゃなくて気が付いた方はかなり鋭いです…ってこれだけばっちり写していたらバレバレですかね…。(笑)

「またおでってくくなんせ 盛岡さ!」…。
「またいらしてくださいね 盛岡へ!」でしょうか…。

「よくおでんした 盛岡さ!」…。
「よくいらっしゃいました 盛岡へ!」でしょうか…。
「おでん」といっても、だいこんとかゆでたまごとかこんにゃくとかちくわとかつみれとかはんぺんが入ったあの鍋料理のことではありませんね…。


こちらがみどりの窓口(北)です。


こちらが駅スタンプ。

こちらが北改札口です。
つづく。
東北本線ウォーク((杜の大橋)=>盛岡)



かつて線路が敷かれていたと思われますが、撤去されていました。
しかしコンテナは意外と安いんですね…。買うにしても借りるにしてももっと高額だと思っておりました…。

雫石川沿いを歩いていきます。


岩手朝日テレビのキャラクター「ゴエティ」が出迎えてくれました。



そして終点の盛岡駅到着…という感じの表札が西口には見当たらず…。




駅構内を写真を撮りながら東口へ行ってみました。

「そして終点の盛岡駅到着!!!!」という感じは、東口でした…。(笑)
現時点(2017/10/09時点)の東北本線は盛岡駅までで、盛岡駅から目時駅まではIGRいわて銀河鉄道、目時駅から青森駅までは青い森鉄道です。
上野東京ラインができる前の2009年に京浜東北線も兼ねて東京駅から出発して、湘南新宿ラインも兼ねて新宿駅からも出発して、宇都宮駅まで、2011年に宇都宮駅から黒磯駅まで、2015年に黒磯駅から郡山駅まで、2016年に郡山駅から小牛田駅まで、そして2017年に小牛田駅から盛岡駅まで行くことができました。2009年からと考えると長かったですね…。
これからまだ高尾駅までしか行っていない中央本線や高崎駅から上越線や信越本線へ行きたいですし、都内ではまだ1路線も歩いていない京王や小田急へも行きたいので、現時点ではIGRいわて銀河鉄道、青い森鉄道へ行くかどうかはまだなんとも言えませんが、沿線ウォーク自体はまだまだ続きます。
ということで、また次回からどこか歩きます。b(^-^)
つづく。
東北本線ウォーク(仙北町=>(杜の大橋))


東北本線の線路沿いを歩いて線路をくぐります。


東北新幹線の高架をくぐって高架沿いを歩きます。

おそらくいわて花巻空港に向かってヘリコプターが飛んでいきました。

県道16号線(盛岡環状線)を歩いていきます。


雫石川沿いを歩いていきます。

水道橋をくぐります。


雫石川を渡ります。

河川敷の田んぼはまだ刈られていませんでした。

盛岡駅に向かってE6系・E5系電車が走っていきました。
盛岡駅から、E6系電車は雫石・田沢湖・大曲・秋田方面へ、E5系電車は八戸・新青森・新函館北斗方面へ向かいます。


北上・一ノ関・仙台・福島・郡山・宇都宮・大宮・上野・東京方面に向かってE5系電車が走っていきました。
確か盛岡駅は全ての列車が停車するので、だいぶ速度が落ちているので撮るのが容易です。
つづく。
東北本線ウォーク((東北本線ガード下)=>仙北町)

東北本線の線路沿いを歩いていきます。

南方面に向かってEH500形電気機関車に引かれたコンテナ貨物列車が走っていきました。
東北本線の線路が東北新幹線の高架をくぐっています。

東北新幹線の高架をくぐります。

高架沿いを歩きます。

東北本線の線路をくぐります。

ガード下にはタイルアートがあります。


県道16号線(盛岡環状線)の手前の細い道路を歩いていきます。



「舟っこ流し」という行事のレリーフですが、舟を燃やしているようですね…。

仙北町(せんぼくちょう)駅に到着。
つづく。
東北本線ウォーク(岩手飯岡=>(東北本線ガード下))





高架沿いを歩いていきます。


おそらくいわて花巻空港に向かってヘリコプターが飛んでいきました。

矢幅・花巻・北上・水沢・平泉・一ノ関方面に向かって701系電車が走っていきました。

刈られた稲が干されていました。

いつのまにやら盛岡市に入っておりました…。

盛岡方面に向かって701系電車が走っていきました。


線路をくぐります。
つづく。