丸永製菓 あいすまんじゅう(博多あまおう)


こちらは「博多あまおう」。





内容はこんな感じです。上の方からあんこがぎっしりです。

「当たりくじ」方式ではないです。(笑)

食べたあとは包装プラを洗います。
たまには1回で全部食べます…というかカップ以外は「分け食い」していないかもです…。(笑)
おいしかったです。(^-^)
というか、ワンパターンですみません…。6(^-^;;;;)
つづく。
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丸永製菓 あいすまんじゅう(ずんだもち)


こちらは「ずんだもち」。





内容はこんな感じです。上の方からあんこがぎっしりです。

「当たりくじ」方式ではないです。(笑)
食べたあとは包装プラを洗います。
たまには1回で全部食べます…というかカップ以外は「分け食い」していないかもです…。(笑)
おいしかったです。(^-^)
というか、ワンパターンですみません…。6(^-^;;;;)
つづく。
チロルチョコ きなこもち アイスバー


こちらは「チロルチョコ きなこもち アイスバー」。


なんと!おもちらしきものが入っています。





内容はこんな感じです。ちゃんと「きなこ」の味がしました。

「当たりくじ」方式ではないです。(笑)

食べたあとは包装プラを洗います。
たまには1回で全部食べます…というかカップ以外は「分け食い」していないかもです…。(笑)
おいしかったです。(^-^)
というか、ワンパターンですみません…。6(^-^;;;;)
つづく。
森永 ザ・クレープ(レアチーズケーキ)



こちらは「ザ・クレープ レアチーズケーキ」。







最初はストロベリーアイスという感じですが、下の方はストロベリーチョコという感じです。

最後は何かクリームが残りました。普通に「アイスクリームが溶けたやつ」ですかね…。
たまには1回で全部食べます…というかカップ以外は「分け食い」していないかもです…。(笑)
おいしかったです。(^-^)
というか、ワンパターンですみません…。6(^-^;;;;)
つづく。
アヲハタ くちどけいちご

こちらはアヲハタの「くちどけいちご」。


冷凍のイチゴです。




だいたい一粒ずつ食べたでしょうか…。

食べた後は包装プラを洗います。
いろいろと数字が気になるお年頃のため、「ひとり分け食い」です…。
けど、おいしかったです。(^-^)
というか、ワンパターンですみません…。6(^-^;;;;)

そしてこちらがアヲハタのいちごジャム。うちで買ってありました。

パンにつけて食べるとおいしいです。(^-^)
つづく。
あれから10年(14/14)

こちらは「災害時帰宅支援マップ」。紙の地図が絶対というわけではありませんが、スマホで地図を見ることもできますが、何でもスマホに集約してしまうとスマホがダメになったときは全滅というリスクがあるかと思います。
地図に限らずスマホにある機能全般ですかね…。電話とメールとネットまではスマホとしても、ラジオ、時計、ライト、地図などはスマホとは別に持つことが重要かなと思います。
別の機械を持つことで、スマホの電力を分散することになると思います。

バッテリーを買いました。このタイプのACが使えるバッテリーの中では小さい部類ですが、電動ドリルで使ってみたところ、結構使えました。
こちらは最低もう1台は買うことにします。現在デジカメも必ずもう一つバッテリーを買うのですが、2つあれば交互に使って、一つを使っているあいだにもう一つを充電するという使い方をすれば電源が途切れるリスクを少なくできると思いますので…。
まだ使ったことはありませんが、コンセントが使えないときでもソーラーパネルで充電できるようです。

ライト類を買いました。
「買いすぎ!!!!(笑)」と笑われるかも知れませんが、ヘッドライト、クリップライト以外は、普段は撮影に使います。
黒い取っ手付きと赤いカバーのものはカメラネジ(1/4-20 UNC)が埋め込まれています。カメラの三脚に立てて使えます。ランタンとちがって上から光と照らせるようにできると思います。
ホームセンターではインチネジW1/4(1/4-20 UNCと同等)もありますので、取り付け金具を自作することもできます。
赤いカバーのライトはバッテリー式です。3段階で調光できます。USBとマイクロUSBがあります。マイクロUSBはこのライトの充電で、USBでほかのものを充電するバッテリーにもなるようです。
黒い取っ手付きは単3電池使用です。6段階で調光できます。ヘッドライトは単4電池使用です。3段階で調光できテールライトの赤いライトもあります。単3と単4はだいたいどこでも大量に売っているでしょうか…。
クリップライトはLR44のボタン電池です。ボタン電池は乾電池とちがって種類が大量にありますが、LR44はコンビニや100円ショップでも手に入るでしょうか…。ちなみにカプセルトイもLR44を使っているものが多いと思われますので、そこから持ってきて使うこともできそうです。

あと、やはりトイレは気になりますよね…。一箱30回分を2箱買いました。1セットポリ袋1枚と凝固剤が1包が30セットです。
トイレに行くのは1日8回と言われています。うちは3人で、3日は自力でなんとか…あら、まだ足りないか…。
そういえば全部ではないらしいですが、ケーキを買ったときにもらう保冷材の中身を出して乾燥させると凝固剤になるという話もあります。
それでも足りなそうなときは新聞紙を細かくちぎって敷き詰めてしたあとに塩素系の漂白剤を数滴入れてにおい防止と殺菌をする方法もあります。
とにかく不透明なポリ袋ですね。
シルエットでもなんとなく姿が見えるのはいやですよね…。6(^-^;;;;)
あと、赤ちゃんのおむつの場合、食パンの袋(材質:プロピレン)を使うといいそうです。
実はどれもまだ試したことはないのですが、実際にやらないで済みたいものです…。
個人的にはトイレのことが一番面倒だと思っています。

テレビを後ろから紐で引っ張るようにしました。
ベストはワイヤーかとも思うのですが、とりあえずはひもをかけています。

仏壇の向かいのラックはとうとう天井までスペースを使うことにしました。天井までスペースを使うならやはり地震対策は欠かせません。
普通にルミナスラックの突っ張り棒を買いましたが、実は突っ張り棒の長さをまちがえて、縮めた状態でもつっかえる状態になってしまいました…。


まだ本格的に撮影していませんが、この撮影スペースを組んでカプセルトイを撮っているときは、おそらく物流倉庫のようになると思われます…。(笑)
新しい撮影スペースは仏壇向かいのラックの買いまちがいから余計に買った分をどうするかと、以前の折りたたみテーブルに重い撮影ボックスを載せる方法が地震の観点で非常に気になっていて、そこもどうするか考えていたときにこの方法を思い付き、少しの加工でできそうだったのでやってることにしました。さらに普段は収納することも考えたら、結構時間がかかりましたがなんとかできました。
これで撮影時も地震対策することができました。ほかにもたくさんメリットがあって結局一石二鳥以上にすることができました。



両親の部屋の箪笥やクローゼットに突っ張り棒を入れました。
実は長さを調節してピンでパイプを刺して固定するタイプですが、ちゃんとはまっていない状態で長さを固定してどこまでねじを締めてもがっちり突っ張らなくて、パイプに余計な穴が開いたりという失敗をしております…。



突っ張り棒を入れにくい場所は金具で固定しています。
あとは仏壇と冷蔵庫をどうやって転倒防止するかですね…。仏壇は上に物を載せたりしないという決まり(家のローカルルールか仏教的なルールか仏壇の強度的な問題(なぜか天板が薄い)は不明)で、冷蔵庫は端のほうを突っ張り棒を入れられそうな感じですが、聞いたことがないです…。
食料に関しては両親(特に母)が定期的に買って、賞味期限が近づいたら消費するということを繰り返しています。ただ、前回古いのを消費してから新しいのを買っていたのですが、それだと何もない状態ができてしまうため、新しいものを買ってから古いのを消費するようにと、今度消費するときに伝えます。
非常用でありながらいかに普段使いに取り入れていくかですね。とくに食品は賞味期限がありますので…。
いろいろ書きましたが、これらはあくまでも自宅避難の場合で、避難所の場合はまだこれから調べて備えないといけないんですが、ただ新型肺炎をきっかけに避難所での感染対策がより重要になったように思います。ちなみに感染対策に関しては水が少ない、全くない状態の「歯磨き」や「手洗い」のことを調べて起こうと思います。
2020年の1月からいろいろと地震対策をしていました。全く気が付かなかったことがあったり、予定していたこともまだ終わっていません。こんな途中の状態でありながら2021年2月13日に東日本大震災の大きな余震と言われる地震がありましたが、個人的な都合など待ってはくれません。おそらく先日はたまたま何事もなくて助かっただけですね…。
まだまだ不十分なので正直なところ不安ではありますが、それでもこれからもさらに調べて取り入れていこうと思います。
…と、久しぶりに、長々と書きました。
普段そんなに書かないし、あまり自分の文章に自信を持っていないので、余計に気を遣いました。
明日から個人的にはそんなにがんばってないつもりの日記に戻ります。(笑)
つづく。
あれから10年(13/14)

ららぽーと富士見内にあるポポンデッタ系のカフェ併設店「シュシュポポン」は普通のポポンデッタに改装されていました。
カフェ形態は現状では厳しいと判断されたのかも知れません…。一度感染状況が落ち着いたころに行ってみたのですが、休日にも関わらずすぐにオーダーできたくらいです…。

カフェのおかげだと思いますが、ららぽーと富士見が開業して5年間で「手ぶらでも手軽に鉄道模型を遊べる場所」ということが広く認知されたようで、カフェはなくなりましたが、店内はわりとお客さんがいたように思います。

自分が部屋の整理整頓で家とホームセンターの往復していたうちに、カプセルトイ専門店がオープンしていました。

最初の緊急事態宣言中に発売されて買いに行けなかったものを買うことができました。

埼玉県富士見市は東京オリンピックのセルビア共和国のホストタウンです。

おそらく日本人がよく知っているセルビア共和国の有名なスポーツ選手と言えば、まずはテニスのノバク・ジョコビッチ選手でしょうか…。4大大会(全米、全豪、全仏、ウインブルドン)を何度も優勝されている方です。
そういえば、2021年2月に行われた全豪オープンテニス2021で女子シングルスの優勝は大坂なおみ選手で、男子シングルスの優勝はノバク・ジョコビッチ選手でしたね…。
さらには“ピクシー”の愛称で名古屋グランパスでプレーされて、現セルビア代表のドラガン・ストイコビッチ監督でしょうか…。
ストイコビッチ氏が現役の一番いい時期にコソボ紛争が起こり、当時セルビア共和国は国際社会の非難の的ということもあって、とてもヨーロッパでプレイできる状態ではなくて日本に行きたかったというよりは日本に行くしかなかったということが来日のきっかけだったと記憶していますが、発足して間もなかったJリーグに「世界レベル」を見せつけて刺激を与えてくれたありがたい存在だったと思います。
あと歴史上の偉人ではアメリカではトーマス・エジソンと電力の送電を争ったニコラ・テスラもセルビア国籍だったそうですね。エジソンは直流を推進、テスラは交流を推進、結局長距離送電のロスが少ない交流が送電の基本になりましたね。
ちなみに単純に解釈すると、鉄道の場合は鉄道設備までの送電は交流で、車両のモーターは直流です。変電・整流設備を地上に置いている方式が直流電車で、変電設備は地上で整流設備を車体に搭載している方式が交流電車です。送電ロスが少ない交流区間の方が直流区間よりも変電設備の間隔が長いです。直流が3-5km毎、交流が50-100km毎だったか…。
そのかわり整流設備を車体に載せない分、直流電車のほうが交流電車よりも重量が軽くなるはずです。
…って、セルビア共和国の話から離れましたが、ららぽーと富士見にセルビア共和国の展示スペースが設けられていました。


期間限定で吊るし雛が展示されていて、その中にアマビエさんがいました。(^-^)
「疫病退散!!!! 」と祈るだけではどうにもならないとは思いますが、それでもなんだか「神頼みでなんとかなってほしい」状態ですよね…。
個人的にはワクチン接種は来年以降くらいまで接種できないと思って、気長に待つことにします。
そしてワクチンを接種したからといっても「無敵」になったわけではないので、やはり今まで通り手洗いとマスクは欠かせないでしょう…。

ららぽーと富士見のエッセンシャルワーカー支援の募金で木でできたはがきをいただきました。
ららぽーと富士見に行っていたのはこのためだったというのがありますが、ちょっとずつ何度も行ったので枚数が多くなりました。
現在ユニコーンガンダムがあるダイバーシティ東京でも受け付けているようです。


母校の新型肺炎対策の学生支援のお礼でエコバッグとカレンダーをいただきました。
個人的にはこういうのはいいからその分支援に回して…とも思ったのですが、いただけるならありがたくいただくことにいたします。
そういえば、自分が2年生の時(実は一浪して入学)に阪神淡路大震災が起こりましたが個人的にはまったく影響はなく、在学させてもらえて授業もテストも普通に受け、卒業させてもらうことができました。
あまり要領のいい人間ではないため、自分の大学時代を考えるとこんな状況になったらおそらく成すすべなく時間切れの卒業ではないですが、卒業できればいい方で、できなかったかも知れません…。
平時はほぼ寄付したこともなかったんですが、今回初めていたしました。
しかしコンビニ決済とは考えましたね…。かなり手軽でした。
郵便や銀行の振込よりもかなりやりやすかったです。
そして後日、新型肺炎の影響で家計急変によって学業継続が困難になる学生と院生に限ってのようですが、900人前後に給付が行われたとお知らせが届きました。おそらく給付額も1人あたり1年の学費の1/4か1/5くらいでしょうか…。
自分の寄付額は1人あたりの給付額の半分もいきませんが、それでも少しでも現役生たちのお役に立てればと思います…。


今年も花が咲いてきました。
母の手術後から母に代わって水やりをしています。
水をやり続けていて花が咲いてくれるとなんだかうれしいもんです。(^-^)
つづく。
あれから10年(12/14)

在宅勤務中、椅子に座っているとどうしても足がじわじわと冷えてきます…。

新型肺炎蔓延のこの状況で、両親が金婚式を向かえました。
一緒に祝ってくれた姉夫婦も結婚15年を向かえました。
自分はというと…。高級料理おいしかったです…。6(^-^;;;;)


そして金婚式後に母が手術をして、その後はいろんな掃除仕事が自分の役割になってきました。

また緊急事態宣言で美容室に行けずセルフカット大会です。
1回目の緊急事態宣言から合わせてもう5回か6回は行ったでしょうか…。1回目、2回目はちょっと「やっちまった感」がありましたが、それ以降は手櫛でセルフチェックしてみて「あれ!?!?」というところはないとは思うのですが…。
それと、そもそも「おしゃれに無頓着なやまざきがなぜ美容室!?!?」と思った方。そういうこともあるんです。(笑)
というと説明不足なので、2005年ごろにmixi上で知り合った美容師さんのところへ行き続けることになったというか…。
たしか震災前後のころに独立されてオーナーになられて、それからずっとお店は続いていて、行き続けています。
緊急事態宣言が解かれて次回けるようになったときは、おみやげを持って行こうと思います。

姉がバレンタインデーのチョコをくれました。
あまりのことで写真を撮り忘れてしまったのですが、前日の2021/2/13(土)の23:08ごろ夜に大きな地震がありましたね…。
ただ、あの揺れが東日本大震災の「余震」ということらしいですが…。震災から10年でもまだこんな揺れが来るという…。

部屋の整理整頓していて、ニンテンドー64が出てきました。しかも箱まで残った状態で…。
ブログネタが忙しくなり出してからすっかりやらなくなってました。

任天堂の3Dアクションゲーム好きでしたね…ソフトはおそらくあの当時からこの4本くらいしか持っていなかったと思います。

マリオ64もちゃんと動きました。マリオさんは歳をとっていないですね…。
相変わらず頑丈でタフです…。
自分はというと20代のときは深夜まで平気でプレイしてましたが、いまはもう2時間もたないですね…。
実はゲームキューブとDVDプレイヤーが一緒になったパナソニックの「Q」も持っているのですが、ディスクトレーの不具合で使えず…。で、ネットに原因が載っていたので、ダメ元で代替部品と時間があったら自分で直してみるか…とも思ってます。
まあでも、とりあえずニンテンドー64があれば十分ですね…。ブログが忙しいので最新のゲーム機(スイッチ?)とかソフトとか別に欲しくないです…。マップを覚えたりアイテム覚えたりするのがもう大変で…。
そういえば2016年リオデジャネイロオリンピックの閉会式のスーパーマリオの演出自体は悪くないと思われるものの、肝心のマリオさんがリアル版になった途端に動きが悪すぎるという…。まあ「絶対にとってみせます!!!!」とさえ言えば、演出家が「忖度」して「スター」や「コイン」を楽にとらせるようにユルユルなコースに変えてくれるからいいのかな…。(笑)
画面内のマリオさんには、新型肺炎蔓延によるステイホームでしばらくお外で電車を見に歩きに出られない自分の代わりに、思い切り飛んだり跳ねたりしてしていただきます…。(笑)
つづく。
あれから10年(11/14)







後で詳細を載せていきますが、テレワーク対応の流れでまあいろいろと作ったり組んだりしましたね…。


それで、おかげさまでミニチュア撮影用の設備まで整備することができました。



そしてこれらもテレワークの設備と同様で出しっぱなしというわけにはいかないので、もちろん収納のための工作もしました。
そういえば、メーカーに勤めるまではプラモデルはすぐ壊れるし、木の工作もガタガタだったりと散々なものづくりが多かったんですが、工業を経験してそういうことはだいぶなくなったかなあと…。
思い出すと工場での経験は無駄ではなかったのかなあと…。
つづく。
あれから10年(10/14)


2020/10/31に東武東上線から本田技研寄居工場直結のみなみ寄居駅が開業しました。

ちょうど黄色いBEATでみなみ寄居駅へ来た方がいました。
もう販売されていない車種ですが、長く愛されているようです。
知り合いにも1人愛好家がいます。

ちなみに本田技研関連の企業にいたときに描いた「安全衛生」がテーマのポスターを描いていました。
人を描いたらそれだけでくたびれてしまって、なんとか文字を描いたという物足りない作品になりました…。
それでも社内で選ばれて、寄居移転前の狭山製作所で表彰していただきました…。20数年前の話です…。
たしか年に4つテーマがあって、「安全衛生」のほかに「環境保全」や「交通安全」や「HONDA車販売促進」などありました。
というか、実は1997年 - 1998年ごろ、自分は本田技研関連の企業の溶接工場にいました。
その当時、建屋全体にクーラーはなく、部分的に冷やす移動式のスポットクーラーが置かれていましたが、スポットクーラーから遠い位置だと、ないに等しい状況でした…。
冬でも汗をかくくらいでしたから、夏は「灼熱地獄」でしたね…。
新型肺炎対策の真夏のマスク着用のことで工場勤務時代を思い出しました。
工場から生産技術に移動後にいろいろ悩んで新卒から3年で辞めたのですが、退職後の数年後にその会社の後輩と会ったとき、このほかに自分が描いた環境保護がテーマのポスターのコピーがまだ工場内に掲示されているという話も聞きました…。
もし現在も掲示されていたら驚きですが、とっくに自分の作品越える物をどなたか描かれていて、自分のは引退していると思います…。

上が元の絵で、それで今になってPC上でマスクと指さし確認の言葉を書き加えてみたのですが、工場では季節に関係なく保護具着用は必須なんですね。それと組み立て工程以外は半袖NGだったか…。マスクは任意なところがありましたが、個人的には常にしていました。
もしかするとあの当時からもっとコンパクトな保護具は出ていると思いますが、身体を守るとい点においては、おそらく現在も方向性は同じだと思います。






そしてちょっと遡りますが、2020年9月から在宅勤務と家の整理整頓と家の近所で材料調達と工作の日々でした…。
つづく。
あれから10年(9/14)

近所のお不動さんの池でカルガモの親子が子育て中でした。
テレワークが続いて出かけられなくても、家の周りでいくらでもブログネタが転がっているもんです…。

こんなときに限って車検があるという…。
ちなみにディーラーでいただいたこの煎餅を、新型肺炎感染蔓延の影響で退職された社内の重鎮の方からもいただきました。
お世話になりました。
おつかれさまでした。m(_ _)m

ディーラーに自動車を預けてサツマイモを買いに農家さんへ行ってそのお庭のアジサイにトカゲがいました。
ちなみにもう一匹いました。葉っぱが結構虫に食べられていたので、その虫が目当てでアジサイにいたのかも知れません…。

緊急事態宣言に伴うテレワークの間に、渋谷駅の埼京線・湘南新宿ライン・相鉄JR直通線のホームが山手線のホームと同じ場所に移転していました。

7月の出勤時に撮り鉄をしていました。
相鉄JR直通線から相鉄の電車が新宿駅に向かって走っていきました。

2021/3/12に引退した踊り子号で運行された185系電車も撮っていました。
おそらく国鉄時代の特急はこれが最後ですかね…???? スーパービュー踊り子号の251系よりも先に登場し、後に引退しましたね…。
伊豆急全線ウォークのときに一回だけ乗ったことがあります。少しだけ窓を開けられた記憶があるのですが、写真が残っていないし、もう一度乗って確認することができないですね…。

新宿駅南口のペンギン広場には花壇があります。虫が飛んでくるんですね…。ハチの類かな!?!?

今思えば都内での貴重な撮り鉄時間でしたね…。
諸事情により渋谷から表参道、表参道から高田馬場、その高田馬場へも月1回の出社になり、2021年は一度も出社していない完全なテレワークという状況です…。



表参道にある河合楽器店で布マスクを買いました。
最近「布マスクは効果がない」などということを聞きましたが、不織布マスクでも鼻を出していたら効果がありません。
「効果」と変換したいのになぜか1回目の変換で「高架」と出るあたり、「鉄分」が足りないのかと思ったりもするのです…。(笑)


ちなみにこちらが2013年のJR浜松駅構内に展示されていたカワイピアノ。
ちなみに楽器はどれもあまり弾けませんし、上達したいという願望もほぼないです…。
ただ、ふらっと現れてクラシックの名曲を弾いてさりげなく去って行ったら「かっこええ…。」という妄想はします…。(笑)

こんな外出にマスクが欠かせないときでも地震は起こります…。
ウイルスも地球もまったく容赦ないです…と思いたいところですが、人間の都合だと「容赦ない」という解釈であっても、ウイルスも地球もやることをやっているだけなんですけどね…。

9月には表参道から撤収することになり、ほぼテレワークになりました。
ひと月に1回だけ高田馬場へ出勤するのですが、ちょうど10年前の2010年の9月に馬場を離れていました。
気が付けば会社用PCは3台に…。あとはいつでも部屋干ししやすいように自分のPCを一緒に置いています。
つづく。
あれから10年(8/14)

2020年の正月。開通して間もない相鉄JR直通線に乗って羽沢横浜国大駅に行ってきました。

そして2020年2月8日、この日は東海道貨物線沿いを歩いて横浜羽沢駅(貨物駅)に寄りました。写真は羽沢横浜国大駅です。個人的には貨物駅横浜羽沢駅の敷地内に旅客駅羽沢横浜国大駅が追加されたようにイメージしています。
東京メトロ新富町駅から東海道線と合流する東戸塚駅まで、築地市場引込線らしきところから汐留操車場跡地、そこから東京貨物ターミナル駅までの東海道貨物線跡、東海道貨物線までを完歩しました。

みなとみらい線新高島駅の近くに、アンパンミュージアムがあります。
そこに困っているキャラクターがいるなら、自分の頭を分けて配って助ける…。
アンパンマンはへんな理由や理屈を見つけて「自己責任」とか「自業自得」とかほざいて拒むような器の小さいことはしません。
ジャムおじさんもへんな理由や理屈を見つけて「自己責任」とか「自業自得」とかほざいてアンパンマンの頭を交換することを拒むような器の小さいことはしません。
真に優しくて強いアンパンマンたちを見習わないと…。
偏見と差別こそ復興を妨げると、感染症を余計に蔓延させると思うのですよ…。
まずは助けましょう…。助け合いましょう…。

2020年2月11日、京急電鉄の花月總持寺駅から生麦駅あたりで東海道貨物線から分岐して根岸線の桜木町駅あたりで合流している高島線沿いと、山下公園あたりを通っていた山下臨港線跡と思われるところを歩きました。
赤レンガ倉庫群のある場所から、新型肺炎感染初期のころ注目されたクルーズ船「ダイヤモンドプリンセス号」を見ました。
自分がいた赤レンガ倉庫と横浜ベイブリッジの位置関係からして、おそらく大黒ふ頭に停泊していたでしょうか…。
ちなみに2月11日は自分の誕生日だったりします…。

このときはまだでしたが、山下公園のとなりの山下ふ頭に「動くガンダム」がいるようです。
「GUNDAM FACTORY YOKOHAMA」の工事かどうかわかりませんが、よく見るとフェンスの奧にクレーンがあるように見えます。
個人的にはガンダムのストーリーは、現代よりも科学技術が発達して宇宙に住み人型のロボットが生産されることが当たり前の時代でも、武器が変わっただけで現代とさほど変わらない理由で戦争をしてしまう人間の愚かさを描いているように思います。
ただ、あまりこの話をすると鬱陶しいと思われるためこのへんにしておきますが、特番で現代技術による制作の様子を見た話をしますと、モーターの出力を1000倍にする減速機の話とか、モーターの出力と骨組みの重量との関係でイラストの足よりも細く小さくしなければならなかったり、原作者の富野由悠季さんが「Vサインさせたい」と要望したものの、人差し指と中指の関節を増やすためにモーターを追加するとそれだけ重量が増して、それに伴って肘や肩のモーターを増やさなければならず、そうするとさらに重量が増すという悪循環で、ご要望は厳しいなど、いろんなご苦労があったようです…。
まずアニメではそこは当たり前のことで…ということは、このあたりが当たり前にクリアできるようになると、それでやはり戦争…って、これまた自分の中で悪循環なことに…。
ちなみにアニメの中の動力の設定は「核融合」だったと思いますが、おそらく放射線を出さないと言われる純粋水爆から着想…って、これさらに嫌がられるパターンですね…。
「さっきからぐだぐだと御託を並べやがって!!!! じゃあキサマ!!!! 動くガンダム見たくないのか!!!!」と思った方へシンプルに一言。
「見たい!」です。(笑)
ただ真面目な話、現実の「夢のエネルギー」は事故で大量の放射線を出すし、1か所の事故処理に途方もない時間がかかることはまちがいなさそうですからね…。
常に考えると絶望しか感じなくなるので、時々思い出すことにします…。


ダイヤモンドプリンセス号のことが他人事だった2月から3月末にかけて感染が拡大して、とうとう4月になって緊急事態宣言が出され、人生初のテレワークになりました。
一番初期はこんな状況でした。このときはまだ物が少なくてセッティングが楽でした…。

ららぽーと富士見の5周年はこんな形で終了してしまったようです…。
営業していたのは1F正面入口付近のクリニックが集まったところと、スーパーとドラッグストアだけでした…。
ポポンデッタの系列のカフェ併設店があるのですが、当然入ることはできません…。

ビバホームのチラシが入っていました。店舗は閉まっていなかったようですが、加工は依頼できない状態でした…。
自分の工作は加工を頼めないと結構大変になります…。

そんなときに限って壊れるんですよね…。
まだ蔓延初期のころはどういう状況でかかるのかなど得体が知れないため、取っ手を買いに家からビバホームよりも近いホームセンターまで歩いて行きましたよ…。
それでも往復で1時間はかかるんです…。

GW中にはなんと!キッチンのシンクが緊急事態に…。
シンクと排水口の接合部の水漏れによってそっくり交換になりました…。
しかし「緊急事態」にも関わらず、結局交換までに1か月ほどかかってしまったでしょうか…。
その間、ガス会社の方には応急処置の方法を教わってそれでなんとかしのぎました…。

緊急事態宣言で都内の美容室に行けないため、自分でバリカンを使って髪を切ってみました。
自分でやってみたのはやはり普段行かない店へ行って、もらってしまうのは納得がいかないというのがありました。
それに発症率がどのくらいかわかりませんが、発表されている感染者数に対して発症率が低ければ低いほど、隠れた無症状者が多くなると考えられるので、もしかしたら自分が普段行かないお店でばらまくというのも、ない話ではないですし…。
1回目はバリカンの使い方がよくわからずざっくりいってしまい、横からだとわからないけど前からだとわかる程度でしたが、側頭部の見た目が凹んだ状態になってしばらく過ごしたというのも…。
2回目あたりにバリカンが恐くて電動シェーバーでやってみたんですが、クセひげを強制する部分で切るというよりは食いちぎる格好になって、髪型に手櫛を通すといちいち引っかかって、たまに指に刺さるんです…。あり得ないダメージを与えてしまったんですね…。

こんな食料品を買う時以外気軽に家から出られないときでも地震は起こります…。
ウイルスも地球もまったく容赦ないです…と思いたいところですが、人間の都合だと「容赦ない」という解釈であっても、ウイルスも地球もやることをやっているだけなんですけどね…。
つづく。
あれから10年(7/14)

埼玉県朝霞市では東京オリンピック・パラリンピックの射撃競技が行われる予定です。
銃を撃っても問題なさそうな場所といったら、陸上自衛隊朝霞駐屯地内でしょうか…????

朝霞市民まつり彩夏祭2019の「関八州よさこいフェスタ」を見る前に、横手焼きそばで腹ごしらえしました。
「朝霞市民まつり彩夏祭」は、昔ながらの伝統の祭り「川越まつり」に匹敵する大規模なイベントです。
「関八州よさこいフェスタ」では朝霞駐屯地のトラックにMCと音源がのります。

朝霞市内のチームが一番多いですが、市外、県外からもチームが来ます。こちらは「東京メトロシーブルー」というチーム。東京都のチームだと思います…という東京メトロ関係者のチーム。
初めて祭りに行ったのは2007年のときで、あのころは社内に一人よさこいチームに所属している方がいて、大勢で行っていました。いまは1人で行っていますが、たまにそのよさこいチームにいる方のところにごあいさつに行ったりもします。
ちなみにその方のチームは「東京メトロシーブルー」ではなく、別のチームです。(笑)
現在はその方を含めてあのとき一緒に見に行っていた方々は、もう全員社内にいないんですね…。

毎年8月の1週の土日に行われるため、猛烈に暑いです…。
水分補給でさくらんぼのシロップのかき氷を食べました。








過去にも復興支援ブースでいろいろと買いました。
毎年岩手、宮城、福島、茨城から復興支援ブースが来ているでしょうか…。
2011年以降はよさこいと打ち上げ花火と本田技研に加えて、復興支援ブースでの買い物も目的になっています。
彩夏祭も川越まつりもほぼ毎年行っていましたが、残念ながら2020年は新型肺炎の影響でどちらも開催されませんでした…。
2021年はどうなるかわかりませんが、どちらも開催されるならやはり行きたいですね。
つづく。
あれから10年(6/14)

2018年は東北に行くことができませんでしたが、2019年に福島で開催された東北絆まつりに行くことができました。
福島駅東口ロータリーには福島が生んだ昭和の大作曲家、古関裕而さんがいらっしゃいます。

こちらの風景は飯坂温泉駅駅前広場から見た飯坂温泉の入口。
東北絆まつりの前に福島交通飯坂線沿いを歩きに行っていました。
実は東京駅で新幹線の写真を撮っていたら夢中になって出遅れてしまい、さらに欲張って飯坂温泉までの途中で源義経公、その家臣、佐藤継信・忠信兄弟の像がある医王寺に立ち寄ったりしていたら、東北絆まつりの各都市のパレードの前に行われた「相馬野馬追」の武者(おそらく騎馬武者の格好をした行列)を見逃してしまいました…。
ちなみに、宮城県白石市にある坂上田村麻呂と鈴鹿神女を祀る田村神社には佐藤継信・忠信兄弟の妻たちの甲冑姿の像を収めた甲冑堂があります。
さらにちなみに継信・忠信兄弟の佐藤氏も、佐藤氏のもともとの主君の奥州藤原氏も、武士の藤原氏の始祖と言われている藤原秀郷公がご先祖のようです。
そしてさらにちなみに地元の川越まつりには「秀郷の山車」があります。
って、なんかくどくなってきたので話は元に戻りますが、飯坂温泉から戻って東北絆まつりのパレードを見ました。

福島わらじ祭り。

山形花笠おどり。
震災後から毎年持ち回りで行われていて、2020年から延期されて2021年は山形で行われるようです。
個人的には新型肺炎の感染者数の多い関東首都圏に住んでいるため行けないかも知れませんが、2021年は感染者数の少ない東北の方々のために開催してほしいものです。

盛岡さんさ踊り。

仙台すずめ踊り。

青森ねぶた祭り。

秋田竿灯まつり。
秋田竿灯まつりだけは流しの演舞が厳しいため、止まって一気に移動してという方式でした。
2019年は東北6県すべてのパレードを見ることができました。

2019年は従弟の結婚式でした。
1年後だったら新型肺炎の影響で無事に行うことは厳しかったかも知れません…。
ちなみに従弟夫婦はどちらも医療従事者なので、感染症自体もそうですが雇用面や経済面や医療従事者への偏見や差別など心配は尽きないですね…。
それとこのとき、式の音楽は演奏家による楽器演奏でした。まあうちの従弟のために特別というわけではなくホテルに依頼されてだとは思いますが、ありがたかったですね…。
自分は楽器は弾けませんが、楽器店で音符のデザインの布マスクを買ったりはできます。
その布マスクを買った河合楽器店の近くに、結婚式場やドレスのレンタルをしているお店がありました。
そんなライブの演奏家たち、ブライダル関係など、新型肺炎の影響で苦境に立たされているという話も聞いています…。
直接何かできるわけでもなく、ただただ無事を祈るのみなのが…。

台風19号に備えてできるだけ飲み水を蓄えました。
結局ほとんどは溜めただけで数日かけて使いまいたが、備えは必要です。

その台風19号の最中に地震が起こりました。
地震が起こるのは天候のいいときとは限りません…。

年末ごろまでJR南武線沿いを歩いていました。
その台風19号で水没したJR武蔵小杉駅の横須賀線・湘南新宿ライン・相鉄JR直通線のホーム下の改札口には地方路線で見かけるのSUICAの改札機が仮設で設置されていました。
駅周辺に建つたくさんのタワーマンションで地下の電気設備が浸水してエレベーターが動かなくなって階段で最上階まで往復とか、電気だけではなくポンプなども故障して水道も使えなくなるということも聞きました…。
普段から家の知って、どんなことが起こるか等想像して対策をとることが必要だと思いました…。
つづく。
あれから10年(5/14)

2017年に仙台で開かれた「東北絆まつり」を見に行きました。
こちらは仙台すずめ踊り。

山形花笠踊り。

盛岡さんさ踊り。
福島わらじ祭り、秋田竿灯まつり、青森ねぶた祭りの出し物もありましたが、行ったのが土曜日で、6つの祭りが行われたパレードは日曜日で、写真を撮れず…。
ちなみに「東北絆まつり」の前に、午前中は仙台市営地下鉄南北線沿いを全線完歩しました。
自分の場合、やはり普通の旅行だけでは東北に行かないですね…。
しかし今思えば1泊して日曜日にパレードを見ればよかったと…。
初めてだったので、そこまで考えていませんでした…。

石巻駅から石巻総合運動公園へ行き、あの国立競技場の聖火台を見てきました。
「それにしても一時期「復興五輪」という言葉を耳にしていたのですが、だれが言い出したのか…!?!?
2017年の石巻市総合運動公園周辺にはまだたくさんの仮設住宅が残っていて、そこには自動車も駐車していてまだ無人ではないことが想像できました。
そして旧北上川沿いのデイリーヤマザキで、津波被害からお店を立て直したお話を聞かせていただきましたが、とても大変なことです。
個人的には、未だ生活もままならないのにオリンピックに大工さんも資材も奪われて、そののせいで生活再建が進まないのかと思えば、「復興」という言葉が付けられることに腹立たしさを感じてしまいます。
新国立競技場建設や、エンブレムデザインのゴタゴタを見聞きするうちに、実際に福島、仙台、多賀城、塩竈、松島、東松島、石巻、女川へ行くうちに、東京オリンピックへの思いが、徐々に変わっていきました…。2013年の決定を喜んだことが、なんだかむなしく思えます…。
ただ、五輪の新規競技場建設こそが逆に復興を妨害しているように思えてならないにしても、建設現場の作業員の方々には無事に作業をしていただきたいですし、その新たな競技場で競い合うアスリートの方々には、日々研鑽を積み続けてその成果をオリンピックで発揮していただきたいという思いもありますが…」云々。
と、この写真とともに2018年の年賀状に書かせていただきました。
2020年は新型肺炎の感染拡大と下げ止まりの繰り返しでオリンピック・パラリンピックの延期、さらに2021年はワクチン接種が始まったものの、その効果が疑わしい変異種が拡大しつつあるという新たな問題が出てきました。
しかもこの状況下国民に自粛や我慢を強いておきながら政府与党議員の無神経な行動と虚偽の説明、新型肺炎前からの積もりに積もった前・現首相の身内の疑惑と忖度隠蔽の数々に、政府与党側から出ているオリンピック組織委員会会長の失言に、それに反発して続出したボランティア辞退したことに関して与党役員の「代わりはいる」発言、政治まみれの女性抜擢人事と、オリンピック担当大臣の「姓」に関する圧力と矛盾の問題…。それに自分たちの日頃の行いが最悪にも関わらず「呪われたオリンピック」などととぼけた発言をした財務大臣もいましたね…。
アスリート、ボランティア、聖火ランナー、建設作業員の方々には何ら問題を感じないのですが、上で取り仕切っている連中がことごとく最悪すぎて、個人的に東京オリンピックへの思いがどうしようもなく冷めてしまいます…。
あとは「この期に及んでまだ「復興五輪」とのたまうならば、ここから聖火台を移動させずに、ここに聖火を持って来い。」といったところでしょうか。

女川町は防潮堤ではなくかさ上げして海が見えるようにしたということのようで、女川駅の駅舎から海が見えます。
石巻線の次は東北本線の再開でした。小牛田駅の先の沿線には宮城県知事がオリンピックのボート会場にと推したものの選ばれなかった長沼、野鳥保護区の伊豆沼、廃線になったくりはら田園鉄道のくりでんミュージアムなどがあります。

平泉の毛越寺に寄りました。
東日本大震災で被災した木材でつくられた、犠牲者のご供養のための仏様がおられます。

平泉の中尊寺に寄りました。
金色堂見ました。本当に「黄金の輝き」でした…。
毛越寺も中尊寺も奥州藤原氏ゆかりのお寺です。

北上、花巻を経て、盛岡駅に到達しました。
昔は青森駅が東北本線の終点でしたが、東北新幹線の延伸に伴い現在は盛岡駅が東北本線の終点です。
ちなみに盛岡駅から目時駅まではIGRいわて銀河鉄道、目時駅から青森駅が青い森鉄道になりました。
東北新幹線の延伸は盛岡駅から一気に青森駅まで延伸したわけではなく、まずは八戸駅まで延伸、その後新青森まで延伸でした。
そのせいかIGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道の運行は、盛岡駅<=>八戸駅、八戸駅<=>青森駅が主のようです…。
盛岡到達後、盛岡と仙台へ旅行しました。

仙台市営地下鉄東西線 宮城野通駅に、アンパンミュージアムの案内がありました。
そこに困っているキャラクターがいるなら、自分の頭を分けて配って助ける…。
アンパンマンはへんな理由や理屈を見つけて「自己責任」とか「自業自得」とかほざいて拒むような器の小さいことはしません。
ジャムおじさんもへんな理由や理屈を見つけて「自己責任」とか「自業自得」とかほざいてアンパンマンの頭を交換することを拒むような器の小さいことはしません。
真に優しくて強いアンパンマンたちを見習わないと…。
偏見と差別こそ復興を妨げると、感染症を余計に蔓延させると思うのですよ…。
まずは助けましょう…。助け合いましょう…。

仙台市営地下鉄東西線 国際センター駅には、トリノオリンピック金メダルの荒川静香さんと、ソチオリンピック金メダル、平昌オリンピック金メダルの羽生結弦選手のモニュメントがあります。
仙台市はフィギュアスケート金メダリストが二人も!!!!
ちなみに東西線は2015年に開通したかなり新しいた路線です。
実は、結局2泊3日の初日は線路沿いを歩いていましたね…。
仙台市営地下鉄ウォーク、盛岡城、八木山動物公園、松島(葉山神社、雄島、仙石東北ライン撮り鉄)と、てんこ盛りというかわんこそばというか…。(笑)
まあでもおかげさまで仙台市営地下鉄は全路線完歩しました。
つづく。
あれから10年(4/14)



仙台から松島までにいくつもの津波到達の道路標識がありました。

松島で国宝の瑞巌寺へ寄りました。仙台藩伊達氏ゆかりの臨済宗のお寺ですね。
瑞巌寺自体はだいぶ海岸に近いにも関わらず津波の被害に遭っていないようでしたが、参道までは海水が来ていたらしく参道の両側の林は補修工事中でした…。
「神仏のご加護」かどうかわかりませんが、境内の手前で津波が止まって引いたということですかね…。

臨済宗と言えば、こちらは2013年に訪れた東海道線島田駅前ですが、臨済宗の宗祖、栄西禅師がいらっしゃいます。
ちなみに姉の嫁ぎ先は臨済宗の檀家で、母の実家は曹洞宗の檀家、父方の叔母の嫁ぎ先は浄土真宗の檀家、そしてうちは浄土宗の檀家、家から一番近い場所にあるお寺さんは日蓮宗です…。
渋谷駅から会社の移転前のオフィスまでの途中にあるお寺さんは天台宗でしたし、うちの周辺の昔からありそうな墓地は「南無遍照金剛」の卒塔婆が目立つので真言宗の檀家さんが多いようです…。
天台宗、浄土宗、浄土真宗は「南無阿弥陀仏」、日蓮宗は「南無妙法蓮華経」、臨済宗と曹洞宗は「南無釈迦牟尼仏」なんだそうです…。臨済宗や曹洞宗は禅宗のため念仏のようなものがないのかと思っていました…。

仙台から2015年に復旧工事が完了し運転が再開された仙石線と、東北本線を進みました。
野蒜地区手前にあった公園ですが、写真に写っているトイレの中を見て津波の状況がよくわかりました…。
まず使える状況ではないしっちゃかめっちゃかな状態でした…。

こちらはおそらく被災前の仙石線東名駅跡です。線路の跡がわかります…。

こちらは踏切の跡です。東名駅と野蒜駅の新駅に寄りつつ、震災前の線路跡を見ていきました。

そして旧野蒜駅。東名駅は跡形もない状態でしたが、野蒜駅は震災遺構として残されていました。
新しい東名駅と野蒜駅がある高台に関してですが、実は自分が行った2016年は駅以外全てが工事中で、建設中の小学校の写真を撮ろうとしたところで「撮っちゃダメ」って止められました…。
「奧に入ったところで撮影NGって…。撮影NGなら手前からわかりやすくあちこちに表示しておいてよ…。」と思いました…。
いまはもう大丈夫だと思いますが…。
高台移転した現在の野蒜駅からも旧野蒜駅が見えます。

駅舎に津波到達時の水位表示が貼ってあります。頭よりもはるかに高い場所です…。

駅舎の2Fには被災した自動券売機が見えました。その奧は資料館になっているようです。
1階にはファミリーマートが入っていますが、ロゴは通常の店舗とちがい、白地に緑一色のロゴや帯でした。

手前が線路跡で、奧が高台移転された現在の高架橋です。
震災前の風景はどんなだったか…。歩きながら震災前の線路のルートをイメージしていました。
震災前のルートを通っていたころに行っていなかったのは悔やまれるところですが、もしタイミングが重なっていたら、自分も津波の犠牲者になっていたかも知れないということは十分に考えられるので、言葉が出なくなりますが…。
廃線といえば、長野電鉄屋代線と、東急東横線(渋谷<=>代官山)は廃止前に見ることができました。でもそんな路線はごく一部で、ほとんどは間に合わないですね…。

鹿妻駅前に航空自衛隊松島基地所属のブルーインパルスの飛行機が展示されていました。
この機体ではないですが、2020年のいつだったか医療従事者激励で東京上空を飛びましたね…。
松島基地から入間基地へ来て、入間基地から都内へ飛んだようですが、個人的には轟音と一瞬だけうちのベランダから編隊が見えただけでした…。

石巻は漫画家石ノ森章太郎さんの地元で、旧北上川の河口付近の中州に「石ノ森萬画館」があります。
駅周辺は「仮面ライダー」、「サイボーグ009」、「人造人間キカイダー」など石ノ森作品のキャラクターたちがいます。
「仮面ライダー」は幼稚園児のころとかなので恐くて見てないですね…。
「サイボーグ009」は個人的にお気に入りだったキャラクターは004(アルベルト・ハインリヒ)でしたね。たしか9人の中で一番メカの割合が高く全身武器というキャラクターだったかと…。ただ、今思えば全身武器って常に危険と隣り合わせで厄介かも…。
機械の仕組みを詳しく理解していたかは何とも言えませんが、機械好きでした…。機能というよりは質感かも知れません…。
つまり雰囲気だけの機械好き…。6(^-^;;;;)
「人造人間キカイダー」はアニマル浜口さんと関係が…。だって「気合いだーっ!!!!」って。
「アニマル浜口、キアイダー!」…。
石ノ森さん、浜口さん、ごめんなさい…。6(^-^;;;;)

当然というか河口付近の中州という場所ということもあり、震災直後に全員避難したそうですが、この1Fフロアが浸水して泥だらけになった写真も展示されていました。
萬画館の場合は避難場所がわからない来場客をスタッフが誘導して、全員無事だったそうです。
対して同じ石巻市内の大川小学の場合校は甚大な人的被害が出てしまいました。地図で見たところ、北上川河口から5kmほど上流の北上川沿いのようです。
上流の川沿いで川を逆流してきた津波で被害に遭ったようですが、海岸から離れている川沿いで避難せず津波被害に遭ったという話がほかにもたくさんあるようです。
ほかにも津波のハザードマップに入っていなかった場所で逃げ遅れて津波に襲われたということも見聞きしました。
おそらく防災心理学というもので言われる、だれしも陥る「正常性バイアス」や「多数派同調バイアス」という罠に、互いが互いをはめてしまって結果全員逃げ遅れたということだと思いました。
大川小学校の場合は、先生たち大人の「正常性バイアス」や「多数派同調バイアス」に子供たちが巻き込まれてしまったために、注目されてしまったのだと思います。
ただ逆に、津波警報後ものんびりしていた祖父母に孫がしつこく逃げようと促して、さらに祖父母が近所の人にも呼びかけて全員助かったという、「正常性バイアス」や「多数派同調バイアス」を打ち破った話も見聞きしたこともあります。
災害はそのときになってみないと…というところもありますが、災害発生時、発生後の判断、行動というのは難しいので、災害が起こる前にたくさんの情報を得て災害時の状況を予測して日頃から備蓄や訓練というと大げさならば習慣づけで備え続けることで、「パニック」という過剰反応や「正常性バイアス」や「多数派同調バイアス」という無反応に陥らないことが重要かと思うのです。
つづく。
あれから10年(3/14)

2015年のいわき駅。2015年は高萩駅から常磐線を歩いていわき駅に到達。
いわき駅までの途中の泉駅で昼食のために寄った食堂で「県道(56号線)にいるのを見かけたけど、ここまで本当に歩いてきたんだ!!!!」と言われました。
ほかの場所(石巻あたりだったか…)でも「ここらへんは自動車で移動が普通だよ。自転車もかなり少ない。ましてや歩いているなんてまずあり得ないから、もしかしたらだれかのSNSに載るかもよ。」みたいなことも言われたことがあります…。(笑)
そういえば歩いていて一番話しかけられたのは、栃木県北部、茨城県北部から福島県南部のあたりでしょうか…。「飲み物あげるから自販機で好きなの選んで」とか「日本一周ですか」とか…。
ありがとうございます…。(^-^)

ウォーキングの途中で寄りことができず、後日改めていわき市石炭化石館「ほるる」に行きました。常磐線湯本駅から少し歩いたところにあります。日本で石炭が採れるのは北海道と福岡とこの福島と言われています。
こちらは作業現場に赴く夫を見送る妻と娘の蝋人形です。
体力的に過酷な上に重大事故での死亡や重傷も大人数になることが多かったようです。火災で延焼を防ぐためにまだ人が残っているにも関わらず水を注入したりして塞がざるを得なかった…というようなことも聞いたことがあります。
この見送りが今生の別れになることもあったと思うとなんというか…。確か映画「フラガール」でも、南海キャンディーズのしずちゃん演じるダンサーのお父さんが炭鉱の工夫で、落盤事故に遭い命を落として、しかしそんな状況でもダンサーの自分を応援してくれていたお父さんのためにステージに立ったという場面があったと思います…。
同じく常磐線湯本駅が最寄りのスパリゾートハワイアンズ(開業当時は常磐ハワイアンセンター)のダンサーは現在はプロを志す人たちが挑んでくる場所だと思いますが、最初はダンスの経験が全くない炭鉱夫の奧さんや娘さんたちが、廃れていく炭鉱の町を再興するために立ち上がったんですね…。
日本は石油はほとんどなさそうですが、石炭は意外ととれたようです。石炭が主流だったころ、国鉄の線路から石炭鉱山へ線路が引き込まれていて、採掘した石炭を鉄道で運び出していました。
ちなみに、木材を運び出す森林鉄道も全国のあちこちにありました。時代が変わるにつれ、燃料は石炭から石油に変わり、木材は輸入に頼る状態で、全国いろんなところで国鉄の線路から引き込まれていた炭鉱鉄道や森林鉄道はほぼすべて姿を消しています。
森林と言えば、戦後間もない時期に全国各地に植えられて、木材の需要が杉の木の成長に間に合わず輸入材に負けて放置され、間伐されず、枝打ちされず、それらが次々と成木になり、藪と化し、毎年多数の花から大量の花粉を飛散させるという全国の杉藪の復讐に日本人は悩まされ続けているのでしょうか…。

2016年のいわき駅。この写真は磐城平城跡へ行く坂道のところから撮ったものです。
特急電車はいわき駅が終点でしたが、普通電車は竜田駅まで行くようになっていました。
復旧していくにしたがって久ノ浜、広野、竜田と終点が延びて、現在は原ノ町行きになっているようです。
特急も仙台行きが復活したようです。ただ、線路沿いを歩けるかどうかわかりません…。
特に富岡駅から原ノ町駅までは状況がよくわかりません…。おそらく大野駅と双葉駅は確実に厳しいでしょう…。
何年かかるか…復旧の状況もさることながら、新型肺炎の関係で余力を残して免疫力を下げないようにしないといけないため、体力とお日様が続く限り行けるところまで行くという歩き方が厳しく、どうしても距離も時間も短くせざるを得ないかなあと…。
実際2020/2/11の横浜へ行ったあと体調を崩しました…。このときはまだ新型肺炎を疑われない時期でしたが、現在は体調が悪くてもすぐに診てもらえないため下手に体調も崩せないという…。
緊急事態宣言が解除されそうな3/21以降、どこかには行きたいと思っていますが、やはり遠出は厳しい見込みですね…。

いわきからの帰りに水戸偕楽園に寄りました。好文亭は修復されて入れるようになっていました。

仙波湖畔で静態保存されているデゴイチ(D51型蒸気機関車)も足場が覆いがとれていました。


熊本地震で熊本城も石垣が崩壊して修復することになったと記憶していますが、白河小峰城も石垣が修復中でした。
原理は「パズル」かも知れませんが、そのピースが大きくて重くて動かすのに一苦労ですよね…。


2015年は黒磯駅から郡山駅まで、2016年は郡山駅から先に進みました。
5年経った2016年でもまだ原発事故の影響で除染作業が行われているようでした。
たしか水素爆発で放射性セシウムやストロンチウムが降り注いだそうで、その降り注いだ放射性物質を土ごと取り除くのが「除染」という作業だったかと…。
そのときに聞いたのが放射性セシウムの半減期(たしか放射線量が半分になる期間)がだいたい30年ほどと…。
ちなみにプルトニウムの半減期は数万年と言われ、それまで放射線量は落ちないそうです…。
放置しておいても放射性物質はほぼ減ることはなく、かといって除染で出た汚染された土も処分の方向性が決まらず放置されたまま…。
それが長期間で既成事実となり何もしてもらえなくなることを福島の方々が恐れているはずです。
これは日本全体の問題です。

名取駅から仙台空港方面に歩きだすと津波到達の道路標識がありました。
仙台、多賀城、塩竈、松島、石巻、女川で、この道路標識を頻繁に見かけました…。


貞山堀を渡る橋の街灯。鉄柱をねじ曲げる凄まじい破壊力が想像できます…。
例えば、自分がこの鉄柱の先に思いっきり飛びついたところで、まず変形を起こさないと思われますので…。

仙台空港も津波で水没していたようです…。津波の海面は頭上の遥か上ですね…。
鉄柱がねじ曲がるには十分な重さがあったでしょうね…。
この津波到達表示も至る所で見かけました…。

仙台駅に到達しました。仙台すずめ踊りを初めて見ました。

2016年から2018年まで東北楽天ゴールデンイーグルスの監督だった梨田昌孝さんの像がありました。記念撮影用ですね。
このときから約4年後、この方がまさか新型肺炎に感染、重症化で命の危機に陥るとは思いもよりませんでした…。
回復されてよかったです…。
つづく。
あれから10年(2/14)


JR京葉線の舞浜駅前も被災の跡が残っていました。


東京ディズニーリゾートを1周している舞浜リゾートラインというモノレールも被災の跡が残っていました。
東京ディズニーリゾートがある土地は埋め立てされて歴史が浅いため、液状化の被害が深刻だったにも関わらず東北の被害があまりにも激烈すぎてかすんでしまい「隠れ被災地域」と言われていたと記憶しています。
地震でゆすられて埋め立てた土砂に地下水が入ってゆるくなった土砂が流れ出し地面が下って、地下深くの岩盤に突き立てた土台の鉄骨やコンクリートがむき出しになるということが起こっているのがわかりました…。
東京ディズニーリゾートがある浦安に上司がお住まいで、上司のマンションはぎりぎり大丈夫だったらしいのですがとなりのマンションが液状化の被害がすごくて、たしか下水が使えなくて困ったということをおっしゃっていたような記憶があります…。
ということは、ディズニーリゾートは「東京」じゃないじゃんっというツッコミがきそうですが、一応神奈川、東京、千葉に囲まれたエリアを「東京湾岸」といいますから…。

「こちらは2013年に2020年の東京オリンピック・パラリンピックが決まってそのあとに行われた東京タワーの特別イルミネーションの写真です。
このときは「まだ7年も先の話」だと思っていましたが、気が付けばもう2020年ですね。
もし東日本大震災がなければ、福島第一原発も可動し続けて相変わらず東京に電力を供給し続けていたことでしょう…。
その福島第一原発に近いJR常磐線が2020年3月ごろに全線復旧したという話です。とはいっても、まだ全線が復旧して避難解除は駅周辺のみとのことで、駅と駅の間は引き続き避難指示が出ていると思われるため、まだ2015年からの続き(いわき駅から岩沼駅まで)を歩きに行ける状況ではなさそうです。
ただ自分は「行けない」ですが、家に「帰れない」方々がまだいるはずです。また競技場建設の影響で東日本大震災の復興が遅れたとも言われています…」云々。
と、この写真とともに2020年の年賀状に書かせていただきました。
「アンダーコントロールされている」と現状把握てきていると到底思えないことを言って勝ち取ったにも関わらず、建てられないデザインの競技場、盗作疑惑のエンブレム、新型肺炎による延期、組織委員会会長の女性蔑視発言をきっかけとした聖火ランナー、ボランティアの辞退等々、次々と問題発生。
それと、アスリート限定ならともかくおそらく現状では世界中の観客のためのワクチンですら間に合わないでしょう…。中止しないならぜひ無観客で。GOTOキャンペーンが原因と思われる増加のことも考えますと、変異種の感染爆発につながっていくと思います。
そしてこの状況で最もしんどい状態と思われるのは、現在の感染状況とワクチン接種状況から本当に開催されると確信しきれない中、批判の矢面に立たされる危険から下手に意見も言えず、だれよりもいろんなもの我慢して研ぎ澄まして準備しているにも関わらず、権力まみれ欲まみれの輩に足を引っ張られ、にわか連中から過剰なメダルの期待を強いられるアスリートの方々です…。
もし開催されるなら、アスリート1人1人が納得のいくパフォーマンスを出していただければ、メダルはとれてもとれなくても十分です。個人的には、いい意味で競技を楽しんでくださいということをお伝えしたいです。


浜松は楽器のまちです。浜松駅の新幹線駅構内にはカワイピアノのショースペースがありました。
浜松市のキャラクター「出世大名家康くん」の袴はピアノのデザインだったりします。
7年後の2020年には原宿表参道にあるカワイ楽器店でマスクを買いました。
新型肺炎の影響で楽器演奏者が厳しい状況に置かれているということを耳にしております。
従弟の結婚式でも楽器演奏者の方々に生演奏をしていただきました。
個人的に楽器はまったく演奏しませんが、それでも音楽グッズを買うことはできます。
現在、原宿表参道に行く機会がないのですが、心残りは「花は咲く」の譜面がプリントされたはがきを買わなかったことですかね…。

静岡県から愛知県に入るとすぐに二川宿本陣資料館があります。このとき通り過ぎただけでしたが、旧東海道ではないですが東海道線沿いを歩くなら、ちゃんと見学すればよかったですね…。
あれから三河地方になかなか行く機会もなく…。
ちなみに岡崎駅前には若き日の徳川家康公の「松平元康像」があります。
三河で生まれ、人質で三河から尾張、尾張から駿河へ、その後三河、遠江、駿河を治め、その後武蔵へ追いやられ、江戸を大都市にして晩年は駿河へ…だったでしょうか。
戦、謀略などさまざまな困難の中翻弄されながらも生き延びてきた人が、最終的には平和な世の中の基礎をつくったという…。

長身美女「ナナちゃん」にお出迎えされて、名古屋に到達しました。
新卒から10か月ほど三重県の四日市にある工場で勤めていて、名古屋駅は長期休暇の帰省の時に利用していました。
四日市にいたのは2004年のナナちゃん誕生のさらに数年前なのでどのみち見ることはできなかったですが、近鉄とJRの乗り換えくらいだったので、改札外でこの場所を通ることはまずなかったですね…。
実は浜松駅も最初の会社の出張で訪れていて2013年が初めてではなかったのですが、まさか10年以上経って歩きつないで駅の外側から訪れるとは思ってもみませんでした。
四日市にいたころは鉄道とはほぼ無縁な生活でしたが、GWの帰省時に社員寮から最寄り駅まで歩くとかやってました。片道1時間以上はかかったでしょうか…。
勤務先でそんな話をしたら「お前、変わっとるな…。」と言われたのを憶えています。
しかし移動に自動車が当たり前の場所に住んでいたもかかわらず、半年間も自動車を持っていなかったんですよね…。
まあそれでも何とかなっていましたが…。自転車でもコンビニも遠かったなあ…。
もしかすると休日に鉄道も利用できない鉄道を楽しめない企業だったから長続きしなかたのか…???? それもあるかも知れません…。

2013年に岐阜駅で休止、2014年に岐阜駅から再開。
駅北口に黄金の織田信長公像があります。
清州、岐阜、安土と、出世するにつれて居城が徐々に京に近いところへ移っていましたが、天下統一目前で明智光秀公に討たれましたね…。
清州城と岐阜城は寄ることができませんでしたが、安土城には寄ることができました。たしか天守跡には豊臣秀吉公が建てたとされる信長公の廟があります。
自分も清州、岐阜、安土を通過しましたが、だれにも討たれることなく無事に上洛することが叶いました…。

彦根駅西側には井伊直政公の像があります。江戸時代は江戸城で代々要職を勤めた大大名の井伊氏も、戦国時代は今川など大国の理不尽な所業に耐えた遠江(とおとうみ)の小さな領主でした。
ちなみに遠江地方の静岡県浜松市のキャラクターに「出世法師直虎ちゃん」がいますが、そのもとになっている人物は、直政公の養母と言い伝えられている井伊直虎公で、徳川家康公に直政公を仕官させたんだとか…。「先見の明」ですかね…。
西側には井伊氏の居城の彦根城(現存する当時の城のひとつで国宝)があり、東側には関ヶ原の戦いの西軍の総大将石田三成公の佐和山城跡があります。
彦根駅東側には近江鉄道ミュージアムもあります。
近江鉄道は米原駅が終点ですが、拠点は彦根駅のようです。

京阪京津線の電車が路面電車のように浜大津駅(現在の駅名は「びわ湖浜大津駅」)に向かって走っていきました…。
路面電車の車両ではなく、若干車体長が短いと思われるものの普通の電車が道路を走っている(正確には「併用軌道」というのですが…。)姿は不思議な感じがします。
大津駅からひと山超えると山科駅で、もうひと山超えると京都駅です。

京都鉄道博物館になる前の梅小路機関車館に行っていました。このとき大阪の交通科学博物館は移転の準備中でした。
その後に交通科学博物館が梅小路機関車館を吸収する形で京都鉄道博物館になったと思いますが、万世橋から大宮操車場跡地へ移った関東の「鉄道博物館」と事情が似ている感じがします…。

道頓堀のグリコの看板は既にLEDでした。その前はネオン管だったらしいのですが、そのころの看板はまったく記憶がないです…。
まあ記憶がないのも当たり前というか、実は東大阪市生まれだったりするのですが、生まれてから幼稚園に通う前までだったこともあり、京阪神地区はどこへ行っても「初めて見る場所」の感覚です…。琵琶湖湖水浴場でも泳いだことがあるらしいのですが、まったく記憶がないですね…。

そして神戸駅までたどり着きました。神戸は父の生誕の場所です。
2011年には熱海駅から静岡駅まで歩いていましたが、南海トラフ巨大地震で起こる巨大津波の話を聞いていたので、静岡県内のときは海も近いところが多くかなりの恐怖感もありながら歩いていました…。本当に起こったらどうやって逃げるかは未だに答えが見つかっていませんが…。
2012年に余震による帰宅困難の不安から遠くへ行けず、ただ、いつ起こるかわからないことのために延期する意味がなく、このまま続きをやらないとこのあと必ず「やらない後悔」すると思い、2013年から覚悟を決めて「やって後悔」することにしました。
気が付けば「やって後悔」するようなことは何も起こらず無事に神戸駅まで歩くことができました。
神戸駅まで行かせてもらえて感謝です。

神戸駅構内にアンパンマンミュージアムの案内がありました。
そこに困っているキャラクターがいるなら、自分の頭を分けて配って助ける…。
アンパンマンはへんな理由や理屈を見つけて「自己責任」とか「自業自得」とかほざいて拒むような器の小さいことはしません。
ジャムおじさんもへんな理由や理屈を見つけて「自己責任」とか「自業自得」とかほざいてアンパンマンの頭を交換することを拒むような器の小さいことはしません。
真に優しくて強いアンパンマンたちを見習わないと…。
偏見と差別こそ復興を妨げると、感染症を余計に蔓延させると思うのですよ…。
まずは助けましょう…。助け合いましょう…。
つづく。
あれから10年(1/14)

2006年、第3回伊豆急全線ウォークに参加しました。初めての路線沿いウォーキングです。
会社でこの「伊豆急全線ウォーク」のチラシを持ってきた方に、後日自分が1人で参加していることを話したら「なんでそんなとこ歩いてんの????お金ないの????」ととぼけたことを言われまして。
「な、なにーーーっ!?!?あんたのほうが「伊豆急全線ウォーク」のチラシ見てノリノリだったんだろうがぁ!!!!ちがうんかーーーっ!!!!ひと月前のことを忘れたのかーーーっ!!!!ヽ(`Д´)ノ」なんて当時そんなことを思ったのを思い出しました。
その方とともに2010年に高田馬場から渋谷へ移動し2011年3月11日に地震に遭い、その方だけ2014年に高田馬場へ戻り、自分も2020年に高田馬場へ戻りまたその方と同じ場所で仕事…と思いきや、在宅勤務という状況になりました。
相変わらずおもしろい方です。(こんなこと書いたら怒られるかな…。6(^-^;;;;))
けど、その方の持ってきたチラシが、10年以上続いているこの路線沿いウォーキングのきっかけかも知れません。
それにしても「お金ないの????」はあんまり否定できないというか…。6(_ _;;;;)

伊豆急全線ウォークがすごくわかりやすいTシャツです。ちなみに着ているのは自分ではないです。(笑)
第9回を2回全線歩いた方だけもらえるというとてもレアなTシャツで、着ているのは第4回伊豆急全線ウォークの伊東駅から城ヶ崎海岸駅までと、東海道線の由比駅から六合駅までお付き合いいただいた方です。
わざわざ自分に見せるために着て来てくださったという…。
ボッチの自分にとっては本当に貴重な方なんですが、やはり残念なボッチの本質のせいか、2013年のこのとき以降、あまり連絡もとっていないというか…。でも基本的に男はそんな性質というか…。
このTシャツを着ていた方には、10年以上続いているこの路線沿いウォーキングのモチベーションを高めていただいたと言えるでしょうか…。


2008年、山手線から伊豆急全線ウォークを真似たウォーキングをスタートさせました。
地図はそのころちょうど買ったものの使い道がなかった災害時帰宅支援マップを使いました。山手線のエリアはその地図で十分間に合いました。
それから3年後に、鞄にそのまま入れたままにしていたこの帰宅支援マップを、本当に災害時で使うとは思いもよりませんでした…。
ウォーキングを始めた最初の数年は現在のように通勤時もデジカメを携帯して頻繁に撮影する習慣がなくて、まだスマホが出始めのころで持っておらず、しかもガラケーを頻繁にチェックする習慣もなく、さらに運の悪いことにそのガラケーのバッテリーがだいぶ減った状態(確か20%台だったか…。)で、寄ったコンビニはことごとく充電器や乾電池も売りきれで途中での充電は不可能で、そもそも「写真撮ってる場合か!?!?」な状況のなか、なんとかガラケーで数枚だけ帰宅時の写真を撮ってました。
もしかすると、このことがきっかけでデジカメを携帯するようになったかも知れません。
三方ヶ原の戦いで武田信玄公に生涯で唯一大敗した徳川家康公が、恐怖で震えあがった姿を自画像に残して、生涯身近に掲示し続け自分への戒めにしたというように…というと大げさかも知れませんが、あの日のことを忘れないように10年前からほぼ毎年同じ写真を載せ続けて、また今年も改めて載せます。

2011年3月11日(金)、JR渋谷駅から歩いてたどり着いた池袋駅の状況。
JRの駅がすべてシャットアウトで池袋まで歩いていみれば東武鉄道もシャットアウト…。
2010年の9月に高田馬場から渋谷へ移動して通勤が遠くなったばかりでした…。
馬場からなら家までなんとかなったかも知れませんが、渋谷からはさすがにしんどいかと思って明治通りを歩いて原宿あたりからメールで姉と連絡をとり始めました。このときに両親が無事ということを知らせてくれて、あとは自分が帰るだけだったと思います。
このとき電話は全くつながらなかったのを憶えています…。

電車が止まっているのが見えましたが動きません。
実は渋谷を出発したときから電車をあてにしてなかったし、2008年から毎週線路沿いを長距離ウォークしていましたが、準備なしの長距離ウォークは初めてでしたね…。

埼玉方面は大宮方面は国道17号線、川越方面は254号線ですかね…。
自分は254号線を歩きました。自分は川越市よりも手前だったのでまだましな方でした。
歩いていてちらほら「これから坂戸まで」「東松山まで」なんて聞きましたが、「まじか!!!!」って思いました…。
もしかしたらさらに先の小川町や寄居町まで…なんて方もいらっしゃったはずです…。
国道254号線の車道は大渋滞でした…。それで姉には「都内へは無理だからなんとか埼玉まで来て」ということで、東武東上線の和光市駅を目指しました。

国道254号線の旧道と思われる道路に入ったところで東京都を抜けたのは何時ごろだったか…。
おなか空いてましたね…。たしか水は持っていましたが食料と言えばカロリーメイトを鞄にいれていたかどうかというくらいで…。まあでも水を持っていただけでもまだましで…。
和光市駅に着く手前のところでメールを見るタイミングが悪かったせいか姉との連絡が上手くいかず、和光市駅をやめてもうすこし家に近い朝霞駅に向かうとメールをしたところで姉から和光市に到着したとメールが届き、そのあとほぼつながらずあきらめていた電話がつながりました。
旧道に入って交差点と交差点の間だったせいか具体的な現在地うまく伝えられなかったものの、それでも朝霞駅に向かう途中の彩夏祭よさこい演舞会場になっている道路で県内から迎えに来てくれていた義兄が運転する自動車で姉と会うことができました。
家に帰ってみれば、家具の転倒や水道やガスは無事だったんですが、なんと停電していました…。
翌日、福島第一原子力発電所が水素爆発を起こし、それで東京方面の電力が厳しいことになったと…。
九州新幹線の博多<=>新八代が開業して東京から鹿児島中央まで新幹線がつながったことなど完全にぶっ飛んでしまっていたでしょうか…。

週明けの3/14(月)、東武東上線志木駅は凄まじい混雑でした…。
このとき、どうやって会社までたどりついたのか、帰りはどう帰ったか…。ホワイトデーどころじゃなかったですね…。
たしか都内は計画停電の対象外ということで都内だけ運行されたんですが、そもそも東京電力の計画停電があまりにもひどすぎましたね…。送電網を把握していなくてほぼ「抜き打ち」状態だったような記憶があります。
その杜撰な計画停電の「計画」のせいで、いきなり電車が止まることは避ける必要があったからだとは思いますが、3/15、3/16はさらに困ったことに東武東上線は都内しか運行しない(池袋<=>成増)という状況に陥りました…。
確か3/15(火)、3/16(水)の2日間、自転車で自宅から成増駅まで往復でした。チェーンやペダルでズボンの裾が汚れるんですよね…。

それからしばらくして、線路沿いのウォーキングを再開しました。が、
水戸偕楽園の好文亭は震災による補修中で入ることができませんでした…。
庭園自体も修復のために立ち入り禁止だらけでした…。
水戸偕楽園は水戸九代藩主 徳川斉昭公の時代に造られた庭園です。
2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」で竹中直人さんが演じている人物です。しかし「徳川斉昭」のはずが「豊臣秀吉」に見えてしょうがないという方々が続出なんだとか…。
そういえば過去の大河ドラマで秀吉を2度も演じ(秀吉(1996年)、軍師官兵衛(2014年))、現在SMBCモビットのCMで「秀吉」になったりもしているので、もしかするとそのせいかも知れませんね…。


常磐神社のお社や石灯籠や参道の倒壊していました。
写真だとわかりにくいのですが、偕楽園駅(臨時駅)を出たすぐにある参道の階段は、地震が原因と思われる土台からやり直さないと直らないような微妙な傾きが発生していました…。
2011/3/11は金曜日でしたが梅が咲く時期だと考えれば梅が有名な偕楽園は人が大勢訪れる時期です。
おそらくそのまま放置されていたとすればケガした方はいなかったと考えられますが、そのあたりどうだったのか気になるところではあります。
偕楽園も常磐神社もかなりのダメージを受けていたようでした。痛々しかったです…。

震災の影響か仙波湖畔で静態保存されているデゴイチ(D51型蒸気機関車)も足場が組まれていました。

日立駅あたりで家屋の屋根にブルーシートが見えました。2011年のときは自分の家族も家も無事にも関わらず行った先のダメージの写真を撮るというのは申し訳なくてほとんど撮っていませんが、これが数少ないダメージの写真だと思います。
おそらく津波が来ていない場合でも屋根瓦が落ちた家屋がかなりの数あったと思われます。
瓦が落ちると雨漏りしたり、雨漏りが原因で家が傷んでしまう恐れがあります…。
取手を出発して、牛久、土浦、石岡、笠間、水戸、ひたちなか、東海、日立、高萩と進むにつれて、お墓、屋根瓦、塀など、石や土でできたものが壊れているのを目にする頻度が高くなりました…。

ただの道路の写真と言われればそうなんでがす、常磐線小木津駅の手前のこの場所で大きな余震があったと父から連絡がありました。高萩駅まで行くのをやめて小木津駅で急遽帰ることにしました。
電車が止まったかと思いきや平常運転で安心しました…。
揺れ自体を写真で撮ることは難しいですが、今でしたら、この場所を背景にスマホの緊急地震速報画面を一緒に入れて撮るところでしょうけど、2012年はガラケーでしたし、東日本大震災以降から緊急地震速報の整備が急速に進んだような気がします…。


2011年の11月ごろ、大きな余震の影響による運転見合わせの状況へ陥ることに不安がありながらも、なんとか高萩駅まで到達しました。
その帰りに水戸駅で途中下車して偕楽園と常磐神社に寄ったところ、常磐神社の石灯籠だけは修復されていました。
好文亭をはじめ偕楽園の敷地内はまだまだ修復中でした…。
2011年は静岡駅や黒磯駅や烏山駅や高萩駅といった自宅から遠い場所まで行けましたが、大きな余震の影響による運転見合わせで帰れなくなる不安がありました…。
あと、東京モノレールの天空橋駅から続きも完歩しましたが、たとえ近場でもトンネル通過は恐かったですね…。
羽田空港の国際線ターミナルから国内線ターミナルまでにトンネルがあるんです…。
2012年は家のリフォーム工事後の整理整頓のこともあってあまり出かけられなかったのもありますが、自宅から比較的近い場所ばかり行っていました。
つづく。
机の加工、整理(スペース有効利用 8/8 椅子収納スペース 3/3)

机の横から差し込んでみました。


ぎりぎりでしたが通りました。


切り欠きは柱を避けるために設けていました。


紙用シュレッダーの上にプラ用シュレッダーを無事に載せることができました。

椅子を兼ねた踏み台も入ります。




これで踏み台を入れやすくなりました。
8年ぶりの追加工でしたが、作った時のことを憶えていました。
つづく。
机の加工、整理(スペース有効利用 7/8 椅子収納スペース 2/3)


次に前後方向を追加します。


棚受けは完成。

一度木ネジで止めます。


一度木ネジを外して切り欠き部分を加工します。




棚には足をつけます。

棚が完成。
つづく。
机の加工、整理(スペース有効利用 6/8 椅子収納スペース 1/3)

仏壇の向かいのCDやプラスチックのカード類を切るハンドシュレッダーを移動して木の箱の横に置きましたが、椅子を兼ねた踏み台がぶつかる状況になりました…。
木の箱の上に載せているのは紙用のシュレッダーです。もともとの容器はだいぶ昔に割れてしまって処分したのでこの木の箱を使っています。
家庭用のシュレッダーはどうも上が重くてバランスが悪いので、背の高いもともとの容器の時はよく転倒してました。
逆にこの木の箱にしてから転倒しなくなったでしょうか…。

ホームセンターで木材を買って、カットしてもらいました。

こちらは余った木材。



が、しかし!!!!ちょっと長かったので、修正しました。

あとはちょっとだけ加工します。

机の下から取り出します。
こちらは2012年の工作物。ここに8年ぶりに棚受け用の梁を追加します。

印を付けます。




まずは上下方向を追加します。
つづく。
机の加工、整理(スペース有効利用 5/8 机上面下スペース)


最初はこの配置で入れていました。一番壁側にコード類のスペースをとっていました。



コード類を外側へ移動させることができたのですこしスペースが広がりました。
工具箱は仏壇の向かいのラックへ移動させて、別の細かい物を入れるケースをここへ持ってきました。

しかしこの細かい物を入れるケースを、このように収める向きを90度変えたいと思いました。

ケースのふたの部分が当たるところを少し削れば少し外側へ拡張できると思いました。



ねじ止めしてあるだけなので取り外して削ります。
大きく面取りして面取り面に溝を彫ります。

削ったぶんだけ外側へ移動させることができたので、さらに広く使えるようになりました。
元々が自作したもので、ボンドで接着していなかったので、こういうときは改造しやすいですね…。
つづく。
ラック(仏壇と壁の間 主に掃除用具入れ 2/2 増設)


さらに延長することにしました。
ただ、仏壇の扉で隠せるのはこの高さまでで、掃除用具なのであまり目立たせたくないし、ここの拡張はここまでにします。

手前のミッフィーの缶は金属用ですね。ホチキスの針などはこちらに入れます。
奧の白いゴミ箱はプラごみと袋のストックです。カプセルトイのビニール袋などをある程度溜めてまとめてます。

こちらはユニ・チャームのウェーブシリーズのモップですが、シートは最新ですが柄は10年以上前のものです。ちゃんと互換性があるんですね…。
こちらに関してはまたのちほど載せます。

ウェーブシリーズのモップの奧にそのシートのストックを置いています。

ウェーブシリーズのモップの下に花王のクイックルワイパーのシートを置いています。
クイックルのシートで畳表を拭きます。モップには取り付けません。

その下には掃除機を置いています。
充電用のコードは別の場所に置いてあります。

その下には次亜塩素酸水を置いています。気休め程度かとは思うのですが、さらに霧吹きに入れて使っています。
アルコールとちがって「水」なので、備え付けがないときにアルコールよりも携帯して使いやすいかも知れません…。

足はネジになっていて高さを調節できます。手前側を少し伸ばして後ろへ傾けるようにしておくと地震対策になると思います。

ネジはメートルネジの「M6」だということがわかりました。
ちなみに、ホームセンターでM6のネジの足を売っていますが、このラックのパーツ一つの値段100円よりも高いのがほとんどのようです…。
壊れたら変えますがとりあえすこれはそのままで、凹むようだったら枕木敷いておこうと思います…。(笑)
つづく。
ラック(仏壇と壁の間 主に掃除用具入れ 1/2 基礎組立)


ダイソーでラックを買ってきました。
パーツはすべて100円です。


ポールを延長できます。


ストッパーを付けて、棚にポールを通します。


実際に物を載せてみて段を調節します。


仏壇と壁の隙間に入れます。
原理的にはドウシシャのルミナスラックと同じですね。
最初から大掛かりなものを予定していなかったり、このラックの棚のサイズでちょうどいいものがあれば、ルミナスラックよりも安価で小型なので、ここに関してはこちらのほうがよいかと思いました…。
つづく。
机の加工、整理(スペース有効利用 4/8 電源コード、掃除機スペース 2/2)


下からは4つの金具で取り付けます。


下からだけでなく、上からも金具をねじ止めします。

なんとかうまくいきました。

180度回して載せます。
実は壁側に取り付ける棚でした。


コードは目論み通り載りました。

せっかく増設したのに、掃除機置き場の予定が、なんと!掃除機が通らない…。


ということで、掃除機と金属等不燃ごみ用の缶はラックへ移動しました。
結局は掃除グッズをラックにまとめることができたのは、よかったと言えばよかったんですが…。

せっかく増設したにも関わらず、下の段は空の状態です…。
何か入れるものを考えておきます。
つづく。
机の加工、整理(スペース有効利用 3/8 電源コード、掃除機スペース 1/2)



机の照明器具の電源コードをほかの場所に置こうと考えました。
ただ、このままどこかへ置くというわけにはいかないため、スペースを増設することにしました。





余った木材で棚をつくります。


取り付けにこちらの金具を使います。


本体に金具を付けてその金具に棚を取り付けます。
つづく。
机の加工、整理(スペース有効利用 2/8 物干し竿置き場 2/2)


竿ホルダに合わせてもう1枚ベニヤを取り付けます。

竿ホルダを取り付けます。


この竿ホルダを取り付けた棚は、以前扉を自作して追加したものです。


竿を立てかけて、竿ばさみで挟みます。ストッパをいろいろと考えたんですが、これが一番楽な方法かも知れません。

こちらはキャスタの下に敷くゴム。

大丈夫だとは思いますが、フローリングを守るため竿の下に敷きます。
2本分つくったのですが、結局ここは1本だけ使います。
奧に設置したため父が出しにくいということで、結局最初に父が置いていたところにそのまま1本立てかけてあります。

実はちがう目的で買っていて2個だけこの竿置きに使っても2個余ってしまいました。
余ったものは押入のラックのキャスタに使いました。キャスタのストッパに加えてこれもあるとさらに固定されるでしょうか…。
つづく。
机の加工、整理(スペース有効利用 1/8 物干し竿置き場 1/2)

父が新しい部屋干し用の物干し竿が倒れないように竿ばさみで止めていました。
どちらも自分が買ってきたものです。


それにヒントを得て、新たに竿置き場をつくることにしました。角が取られた短いヒノキの角材を利用します。


パーツをつくります。



組んでいきます。こちらは竿ホルダ。


棚にベニヤを取り付けます。
つづく。
掃除(ガスコンロ)




うちはまだガスコンロです。

キッチン洗剤で洗います。

ブラシで焦げ付きを落とします。
どこまでが煤でどこまでが地金かよくわからなかったですね…。


丸い部分に出っ張りがあるのが奧です。




一応きれいになりました。
ただ、2日後、父が豪快に吹きこぼしたらしく、母に頼まれて五徳と受け皿を洗いました…。
母が治療中のため父が老骨に鞭を打って料理をしております…。
つづく。